「船劇場」という場のイメージ

遠藤啄郎がかつて書いた「餓鬼達の夏芝居」という詩があります。 劇団代表作『小栗判官・照手姫』の台本に載せられているのをはじめ、リブロポートから出た写真集や脚本集『仮面の聲』にも収録されており、『小栗』という作品を超えて、劇団の演劇観が託された非常に重要な作品です。 そこには「風穴を開ける」というモチーフが登場します。「風穴」とは、見えない世界(地獄、天国、時空を超えた場所等)への入り口のようなものです。「かつて声や身振りを掲げた旅人(流浪の語り手)」が、「死者達を突然おびき出」すために開けたその風穴は、境内や道端を行き交う人々を釘付けにしたに違いありません。

人間たちは、なぜ風穴を通じて異界を見ようとするのでしょう。それは、私たちがどこかで祈りを必要としているからではないでしょうか。生老病死、戦争、災害、豊作祈願……ベクトルは違えど、今も昔も変わらぬ様々な困難を経験し、自分達から切実な祈りが生まれる時、異界への風穴が開けると私は信じます。

風穴を開け、説経節や神話など、ここではない世界のイメージを共有すること。それは物語の再生であると同時に、そこに居合わせる者全てが再び生まれ変わることを目指した体験でもあります。劇団はこれこそが演劇行為と考え、この体験にふさわしい場として歴史や自然を感じられる艀を再生し、拠点としてきました。

「餓鬼達の夏芝居」が書かれた頃の船劇場は木造でした。一方で、現在私たちが拠点とする船劇場は鋼鉄製……明らかに木のやわらかさとは異なった硬質な劇場です。それでも鋼鉄製の船劇場は、風穴が開くための条件を備えた劇場と言えます。艀自体が持つ歴史性や、境界的な空間イメージ(陸と海、旅立ちの気配、異空間への入り口)は、私たちに普段とは違う感覚を開かせるでしょう。現在の船劇場にも多くの方々が魅力を感じる背景には、そんな風穴の気配があるのではないかと考えています。

「廃物利用」という言葉とともに木造の船劇場が話題になり、叙事的な仮面劇を国内外で上演し、多くの人々の心に残る舞台を創り上げてきた劇団、横浜ボートシアター……言うまでもないことすが、船劇場や劇団の歴史的価値は当時の活動を担った先輩たちが作り上げたものです。しかし、私たちはその1980年〜1990年初頭の木造船だった船劇場の頃の劇団を経験していません。横浜ボートシアターという名前こそ同じですが、現在と40年前では、運営スタイルも違えば船劇場の材質も違います。そうであればこそ、劇団の過去の遺産や功績を私たち劇団員3人が主張し、アピールするべき、という意識は今まであまり強くありませんでした。

ところが、船劇場の利活用をめぐる動きを進める中で、私たちは過去に対する意識を少し変えなければいけないことに気付かされました。先日、ある舞台関係者のAさんにお会いしたときのこと。Aさんと私たちとの間には今までほとんど接点がなかったにも関わらず、熱い口調で「横浜ボートシアターや船劇場の歴史的価値は非常に高く、類を見ないもの。今後船劇場を維持・活用していく上では絶対にアピールすべき」と励ましてくださいました。さらには、資料として差し上げた遠藤啄郎の米寿と劇団創立35周年を祝した記念冊子についても、劇場や劇団の歴史をよくまとめていると評価してくださったのみならず、Aさんは、明らかにその当時の劇団の体験を通じて、船劇場の維持について真剣にアドバイスをしてくださり、私たちは大変感激しました。

Aさんとの出会いを通じ私たちが痛感したのは、船劇場や劇団作品をめぐる皆様の体験の一つ一つこそが、船劇場の価値であり、劇団の価値だということです。そしてその価値こそが、船劇場の維持・存続にとって非常に重要だと考えております。また、そのような裏付けがあるからこそ、劇団年表に書かれるような具体的な功績なども光り輝くと言えるのです。ぜひ、私たちの知らない船劇場の体験を、お教えいただけないでしょうか。皆様からのお便りをお待ちしております。

松本利洋
劇団から支援者への現状報告(2023年3月)掲載