横浜ボートシアターの影絵の源流

3月24日(土)〜25日(日)に開催される創作影絵人形芝居「月夜のけだもの」「極楽金魚」。劇団で影絵を使った作品を作るのは「月夜のけだもの」で3作目ですが、いずれもインドネシアの伝統影絵ワヤン・クリから影響を受けています。


遠藤所持のワヤン・クリの人形

 

ワヤン・クリは儀礼的な影絵人形劇で、集落や国の特別な行事などで上演される。題材は人々が誰でも知っている叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマヤナ」「パンドゥ物語」などを上演する。「ダラン」と呼ばれる語り手が一人で語り、数々の革製の人形を一人で操り、上演は長い時は8時間にも及ぶ。音楽はダランの指揮のもと、ガムランオーケストラと女性コーラスが演奏する。

ダランは膨大な物語を記憶し、時に即興で枝葉を創作し時事ネタを盛り込んだりしながら語り、人形を操作する。人々の絶大な尊敬を集めているダランは、その影響力もあって、スハルト政権下で優秀なダランが何人も殺されてしまったという。

2011年に遠藤さんと共に数人でインドネシアを旅した時、ジャワ島のソロの町でほんの少しだけワヤン・クリの公演を見る機会があった。ソロで案内をして下さった遠藤さんの友達でソロの王宮の楽典長をされているサプトノさんが、「今夜ワヤン・クリをやっているよ。ちょっと見てみる?」ということで、有志だけ車で連れて行ってもらった。

ジャワ島 夜のプンドポ、古屋均さん撮影

時間はもう夜中の1時頃だったが、ジャワの熱帯の夜の濃密な闇の中に突然煌々と明かりの灯った大きなプンドポ(吹き抜けの集会所)が現れ、見ると数百人の人々がびっしりと、声もたてずに座っている。その前方にきらびやかに輝く人形とスクリーン、楽器があり、その中央にダランが人々に背を向けて座っていた。ダランの低い歌うような語りに耳をそばだて、一挙手を見逃すまいと観客は息を呑んでいるようだった。その異様なまでの熱意と集中力に、ワヤン・クリがジャワの人々にとってどんなものか直感的に感じられた。
人々は、人形を操り物語るダランに見入っている。サプトノさんの案内でスクリーンの裏にまわってみると、そこにはいわゆる影絵、スクリーンに映る影が伸びたり縮んだりする面白い世界があるのだが、そちらで観ている人は2〜3人だった。スクリーン上は戦闘場面で、人形は高速でぶつかったり枠の外に消えたり、くるっと回転したりする(驚くことにダランは人形を上に放り投げて回転させる!)。ガムランは煽るように激しく、スクリーン裏のがらんとした寂しさとは対照的に盛り上がっていた。
いつまでも観ていたかったのだが、予定外の鑑賞で夜も遅かったため、まもなくホテルへ帰った。あの整然と並び見入る人々、スクリーンの激しさ、ダランのいる表側の金に輝く装飾など、私にとっては驚きの世界であり、今でも心に焼き付いている。

さて長くなりましたが、私たちの影絵がこのワヤン・クリのどこに影響を受けているかというと、まず一人で語り操るスタイル。比べ物にならないくらい小規模ですが、スクリーンと光源と語り手の位置関係、人形の立て方などを真似ています。

ボートシアターの自作の影絵セット

それから人形の材質や形など。形については2007年上演の「火山の王宮」の影絵人形制作の際、だいぶ研究し、面白い発見が多々あった。かいつまんで言えば、ワヤン・クリの人形のデフォルメされた奇妙とも言える形は、影になって映った時に生きる工夫ゆえの形だったのです。前述のジャワの旅に「極楽金魚」の人形デザイン・制作をした画家の竹内英梨奈さんも同行していた。皆で影絵工房も見学し、竹内さんはその時革を細工する専用の道具も手に入れた。

ダランは人々にとって知識や記憶の蔵、自分たちの物語を語り続けてくれる大切な存在なのでしょう。私たちも、ここ日本で、人々にとって大切な物語を語れることを願っています。

本文:吉岡紗矢


今回稲葉邸で語られる物語は宮澤賢治による動物を題材にした喜劇と、遠藤啄郎が1960年代に書き上げた民話調の叙事詩的悲劇。両作品は物語のテイストも違えば、影絵の作風も違います。ぜひタイプの違う二つの影絵作品をご堪能ください。

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