船劇場を活用した芸術祭、そして艀の複合施設

船劇場の元となった艀の写真(1998年)横浜ふね劇場をつくる会資料より

昨年9月に劇場の修理を勧告されて以来、私たちは船劇場のあり方を改めて考えることになりました。方針を決める際に多くの方々から聞いたお話で実感したのは、船劇場が表現者にとって非常に魅力のある場所だということです。

話し合いの中でいただいたアイディアを元に、私たちは「船劇場を仮停泊させて行う芸術祭」「艀を活用した複合施設」の実現を目標として、横浜の街づくり関係者の方々とお話を重ねております。まだまだ始まったばかりと言えますが、実現に向けて努めて参る所存です。

2001年に『王サルヨの婚礼』で横浜トリエンナーレ周辺企画として盛大に柿落とし公演を行った船劇場は、常設の市民劇場を目指して作られたものです。劇場の改装や公演の実現、将来に向けてのプランの作成には市民団体「ふね劇場をつくる会」の尽力がありましたが、公演後、常設用の岸壁を確保することができず、現在までお世話になっている岸壁に係留することになりました(この岸壁は諸事情のため場所を公開できず、公にイベントの宣伝ができません)。その後、一度は宣伝可能な岸壁に仮停泊して公演やフェスティバルを実施する寸前まで話が進んだこともあります。しかし、残念ながら直前で行政からストップがかかってしまい、当初の目標の達成が困難になったために「ふね劇場をつくる会」は2013年に解散してしまいました。

以後、船劇場の活用、認知を目指しての活動は続けられたものの、「多くの方が使えるかどうか」という劇場として根本的な部分に取り組むことはなかなかできずにおりました。なぜこの問題に取り組めなかったか、横浜ボートシアターとしての事情を申し上げるならば、これは高齢の遠藤啄郎が存分に創作できるように劇団として集中することが、何よりも大事であったためです。

今後の船劇場のあり方を考えるにあたっては、多くの方からご意見をいただきました。その過程で生まれた案を、まだ計画の途上ではありますが、こちらのページにまとめております。

ぜひ今後とも当劇団並びに船劇場をよろしくお願いいたします。

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