小栗判官・照手姫

『小栗判官・照手姫』大団円
写真:岡本央

エジンバラ、シビウ、香港、N.Y.など世界各国で上演された劇団代表作「小栗判官・照手姫」。説経「をくり」の原文を活かし、仮面劇として作り上げられたこの作品には未だ見ぬアジアが埋まっている。“死と再生”という普遍的なテーマが極彩色の舞台上で浮かび上がる。1983年、脚本・演出に対し、紀伊國屋演劇賞受賞。

『小栗判官・照手姫』あらすじ

京都鞍馬山の毘沙門天に祈願し授かった、二条大納言、兼家の一人息子「小栗」は文武両道にすぐれた美しい若者であった。小栗十八才の折、みぞろヶ池の守護神の大蛇が化身した姫と契り、都をさわがせた罪により、父兼家の命により常陸国に追放されるが、東国の武将らは小栗を貴人とかしづき仕えた。

ある時、旅の商人後藤の手引きで小栗は相模国の守護大名、横山が日光大明神に祈願し授かった一人娘照手姫と恋に落ち、横山一族の許しも待たずに結婚してしまう。小栗の傍若無人の振る舞いに腹を立てた横山一族は、人食い馬の「鬼鹿毛」に小栗を乗せ、喰い殺させようとするが、小栗は見事に「鬼鹿毛」を乗りこなしてしまった。

怒り恐れた横山一族は、照手の兄三郎の策略で小栗を酒宴に誘い出し、十人の家来ともども毒殺してしまう。だが、都の威光を恐れる横山は、照手も同罪と相模川に石をつけ沈めようとするが、なさけある家臣の計らいで照手は一命はとりとめたものの、人買いの手に渡り各地を点々とし、美濃国青墓の宿の遊女屋に買い取られる。しかし、照手は亡き夫への操を守り、客をとることを拒み続け、名前も小萩と呼ばれ、十六人分の下女の仕事をまかされ苦難に耐えていた。

『小栗判官・照手姫』鬼鹿毛

一方、家臣とともに地獄に落ちた小栗は、忠節な家臣のたっての願いを聞きとどけた閻魔の「この者を藤沢のお上人に渡し申す。熊野本宮湯の峰に送り届ければ、薬の湯を送るべし」と書かれた手紙を胸に、見るもおぞましい餓鬼の姿となり墓を割って、この世にもどされる。 耳も聞こえず、目も見えず、動く事さえできなくなった生者とも死者とも定かでない小栗を、藤沢のお上人はいざり車に乗せ「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養。」そう唱えながら、上野が原から聖地熊野に向けて引いてゆく。藤沢のお上人の引くいざり車は、美濃国青墓の照手が働く遊女屋の前にさしかかるとぴたりと動かなくなってしまい、お上人は帰路につく。

餓鬼を見つけた照手は「夫の小栗がこのような姿になっていても、もしこの世に生きておいでなら自分の今の苦労も耐えられるであろうに」と、なげき哀しみ、亡き夫や家臣の供養のためにいざり車を引く決心をし、主人から五日間の暇をゆるされ、狂女に身をやつし、滋賀県近江の関寺まで辿り着き、主人との約束を守り涙ながらに青墓に戻ってゆく。

照手と別れたいざり車は、道行く善男善女等の報謝で手から手へと引かれ、京、大阪を越え、熊野詣の人々の手で険しい山や谷を越え、湯の峰に運ばれ閻魔の送る湯につかり、上野が原を出てから四百四十四日。小栗は生前にまさる美丈夫となり蘇生する。

生きかえった小栗は京都で両親とも対面。常陸に戻る途中照手とも再開し、小栗を毒殺した兄三郎、照手を人買いに売ったむら君の太夫の妻、両名を処刑。常陸にもどった照手と小栗は末永く夫婦として天寿をまっとうした。

『小栗判官・照手姫』照手姫と餓鬼の道行

初演スタッフ

  • 脚本・演出・仮面:遠藤啄郎
  • 音楽:矢吹誠
  • 衣装・仮面:緒方規矩子
  • 舞台装置:堀尾幸男
  • 振付:森田守恒/中村又蔵
  • 照明:堀尾幸男
  • 舞台監督:笠井賢一
  • 宣伝美術:筒井徹
  • 写真:酒井猛
  • 舞台監督助手:姜昇徹
  • 衣装助手:八重田喜美子
  • 仮面助手:松延ひろし
  • 美術・装置製作:(株)HORIO
  • 楽器製作:矢吹誠・アトリエ梅屋敷
  • 協力:アートフロント
  • 会計:志摩明子
  • 制作:横浜ボートシアター・崔美子

初演キャスト

  • 餓鬼の長:松延ひろし
  • 小栗判官:吉成美輝
  • 照手姫:東の宮美智子
  • 兼家(小栗の父):小谷野洋子
  • 小栗の母:古屋和子
  • 女房達(序の段):佐藤純子、東の宮美智子、志摩明子
  • 後藤左衛門:野口英
  • 女房達(後藤の段):志摩明子、佐藤純子、小谷野洋子
  • 陰陽師:古屋和子
  • 横山(照手の父):野口英
  • 家継:玉寄長政
  • 三郎:暁遊児
  • 鬼鹿毛:野口英、暁遊児、玉寄長政
  • 鬼王:暁遊児
  • 鬼次:玉寄長政
  • 漁父の大夫:志摩明子
  • 姥:小谷野洋子
  • 人買い:暁遊児、玉寄長政
  • 君の長:野口英
  • 閻魔大王:玉寄長政
  • 見る目童子:佐藤純子
  • 殿原(見る目童子の段):暁遊児
  • お上人:古屋和子
  • 餓鬼阿弥:松延ひろし
  • 餓鬼達:五十嵐均、他出演者全員
  • 熊野権現:崔美子
  • 楽士:矢吹誠、橘政愛、他出演者全員

ギャラリー

「小栗判官・照手姫」1989年横浜国際舞台芸術フェスティバル’89招待公演チラシ(デザイン:杉浦康平)
「小栗判官・照手姫」1989年横浜国際舞台芸術フェスティバル’89招待公演チラシ(デザイン:杉浦康平)
『小栗判官・照手姫』舞台写真
写真:岡本央
『小栗判官・照手姫』舞台写真
写真:岡本央
『小栗判官・照手姫』舞台写真
写真:岡本央

『小栗判官・照手姫』劇評・寄稿文

三枝和子「曼荼羅としての舞台」

面というものは不思議な働きをする。役者が仮面を1つ付けて舞台に現れると、それだけでもう芝居は始まるのである。そこへ、もう一人の役者がもう1つの仮面をつけて現れると、芝居は進むのである。さらに、三人目の役者が第3の仮面を付けて現れると、芝居はこのときからさらに拡がるのである。他に何が無くても、である。

遠藤啄郎+緒方規矩子の舞台は、こうした演劇の原点を踏まえたところから出発している。遠藤・緒方の舞台に原始のエネルギーを感じるひと、無意識の層の深い部分を揺さぶられる思いをするひとは総て、舞台において、この原点に触れる体験を持たされたに相違ない。芝居の原点は「面」なのである。ギリシア劇然り、能然り、洋の東西を問わない。

以前私はこの「小栗判官・照手姫」の舞台を評して「仮面はここでは、単に役者に1つのペルソナを与えるという働きだけではなく、次々に展開されるスケールの大きな物語の文体と1つになって、その意味では、面は言葉になっていたのである。言葉が、語りの言葉が、面を駆使したのかもしれない」と述べたことがある。

この作品は中世の説経「をぐり」を素材に展開されているが、浄瑠璃とも歌舞伎とも違った味わいに仕立てられて居り、浄瑠璃よりも歌舞伎よりも、原型の説経「をぐり」により近いものに出来あがっていた。その原因は「をぐり」の持つ文体の力を損うことなく舞台に表現しようとした遠藤・緒方の努力によるものだろう。それが私には「語りの言葉が面を駆使している」と思えたのだし、こうした語りと面との関係こそが、先にも述べた芝居の原点そのものに他ならないのである。

加えて、浄瑠璃や歌舞伎はこの中世の説経を、近世・江戸時代の社会倫理に色濃く染めあげてしまったが、遠藤琢郎は、これをより仏教的世界観をきわ立たせる形につくりあげた。このことを私は、「仏教説話を、バリ島の仮面を混えたり、アジア風の下座音楽を効果的に使ったり、衣装にマンダラを思わす色彩を多用したりすることによって、インドの原始仏教の世界に直結させて表現し」「いわば構造主義的な舞台に仕上げた」とも述べたのであった。そこで私は、初めて、遠藤・緒方の舞台を構造主義的、というふうに呼んだのだが、もちろんリアリズムの舞台に対比しての謂である。リアリズムに対比するものとしては象徴的な舞台、幻想的な舞台と種々規定できるかもしれないが、この「小栗判官・照手姫」に限っては、そうした規定では、まだヤワに過ぎるのである。構造主義的、と言わざるを得なかった所以である。

(「YBT 横浜ボートシアターの世界」より)

梅本洋一「運動するセノグラフィーの方へ」

舞台装置と呼べるものは目の前にほとんど存在していない。黒い硬質の板がはりつめられた舞台には中央に演戯場と考えて差し支えないなにもない空間があり、その左右に、一列に多くの東南アジアの楽器と思われる打楽器、弦楽器、管楽器が並んでいる。やがて、弦楽器を手にした老俳優が演戯場にあらわれ観客たちの身体に染入るような曲を奏したあと、演戯場を静かに立ち去る。「横浜ボートシアター」の「小栗判官・照手姫」はそのようにはじまる。(中略)

仮面によって顔と目による表現の可能性を奪われた二人の俳優にとって、感情の表現として残されているのは、語るべきテクストと彼らの背後に並ぶ楽器によってかなでられる音楽である。中世に生まれた「説経・をぐり」をもとにして構成されたテクストは古語とも現代語ともつかない特殊な韻律によって観る者たちの耳に美しくひびき、楽器群による音楽が先導するように、彼らは身体を少しずつ動かす。(中略)

「小栗判官・照手姫」に内包された意味内容は、東京の小劇場の舞台を埋める若い劇作家=演劇人たちが示す少年とか都市などの主題とは全く異なっていた。さらにまた唐十郎が実現したバロック的戯曲の世界とも、佐藤信が実戦している理性的な舞台とも、60年代後半の清水邦夫の戯曲にあった熱情と諦念とも、それは異なっていた。(中略)

(「YBT 横浜ボートシアターの世界」より)

山口昌男「神話としての小栗判官蘇生譚」

遠藤氏の演出による舞台は、語りのスタイル、仮面の使用、肉体を全面に押し出すアンサンブル、東アジアにまたがる音のひろがりを喚び起すパーカッション、自由自在に転換する張りぼての舞台装置等数々のレベルで小栗の広大な空間にまたがる叙事詩の世界をボートシアターの狭い空間の中に再現する。小栗の異界下降譚も含むこの舞台は、補陀落行を思わせる母胎的なボートの空間によくマッチしている。事実、途中風のせいで、ボートがぐらりと揺れた時は、一瞬全く異なる空間に連れ去られる想いにとらわれた。(中略)

霊験譚を介した民衆の幻想を肉体性を欠落させることなく遠藤氏は舞台に定着させた。思い切って派手に展開した結末の部分も、中世の衆生の祀り(祭り)の空間としての劇を再現しようとする試みに他ならない。(中略)

民俗的想像力を背景として小栗判官物語りを「読み」なおしてみると、この物語りはまさに船=母胎=冥界=死といった連想を喚び起こして、まさにボート・シアターに最も適切なレパートリーを提供したのもうなずけると言えよう。

(「YBT 横浜ボートシアターの世界」より)

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