「語り」の持つ音楽性・空間性、そして奥深さ

役者として語るのと、演出として語り作品を作って行くのとでは立場が違うので、見渡す景色が違って面白い。音楽との関係においても、役者として感覚的に行っていたことを、演出ではその関係を言葉にして役者に伝えなければならないので、何を目指しているのか、より自覚的になって面白い。今回は松本くんの語りへの音楽のつけ方もより洗練され、意図もより明確になって来ているように感じ、音楽との関係で語りが目指すべきところも言葉にしやすい。

ちなみに語りに音楽をつける作業はほぼ演出と言っていいのだか、どのような音をどこにつけるかは松本くんに任せており、演出は全体の関係で成立して行くことを目指し、そぐわない場面があれば直してもらうが、松本くんとは付き合いが長いので、今回の語りに至っては直してほしいところは今のところほとんどない。昨年役者をやったことが、音付けの成長に繋がったと本人は言っている。

ここぞという場面に音楽が入った途端、感じられる空間の質や形が変わる。ダイナミックになる。語りがその時不用意に音楽に身を委ねてしまうと、語りの間合いが揃って来て、何を言っても同じに聞こえる羽目になりかねない。その時語りは、言葉が求めてくる間合いをしっかり掴み続けなければならない。しかし音楽をただ無視すると、音楽が生み出している空間とそぐわない別々のものになってしまうので、音楽の呼吸の深さや空間性は感じて合わせて行かなばならない。

また音楽が抜けた瞬間にも、感じられる空間が全く変わるので、その変化を効果的に活かして行かねばならない。音楽が入っていた時と同じ語り口で続ければ成立しない。

言葉には空間や方向性があり、もっと言えば一音一音に空間や方向性がある。それも物理的な面だけでなく、精神における方向、開ける空間がある。未来なのか過去なのか、空想なのか心の奥底なのかそしてそれが近いのか遠いのかなど。それらが音声で表現できるのだから、人間の編み出した言語というツールは実によくできているし、人間の持つコミュニケーション能力は驚異的だと感じる。

これらをはじめとした語りの奥深さは、俳優のスキルのためだけにあるのではもちろんない。言葉を伝達の道具として使う全ての人にとって、その精度を上げてゆくために、より良い丁寧な受け渡しをしてゆくために重要だと思われる。

言葉の世界、言葉で綴られている内容としての物語、それをさらに発展させた演劇に純粋に興味を持ち、現代に何を発信してゆくべきかを真剣に考え、共に努力してゆける方であれば、経験の有無に関わらず、役者である無しに関わらず仲間になってほしいと思っていますので、是非多くの方にボートシアターの取り組みを覗いてみていただきたく思っております。

吉岡紗矢

YBT語りの会
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