【船劇場修繕寄付】リターン紹介 『小栗判官・照手姫』台本

本日も投稿をご覧いただき誠にありがとうございます。

現在、寄付のリターンとして『小栗判官・照手姫』の台本を製作しています。絶版となっている脚本集『仮面の聲』に掲載されている横浜ボートシアターの上演台本を底本として、誤植などを可能な限り訂正したものを製本する予定です。

(ちなみに、『仮面の聲』は杉浦康平氏がデザインされており、行間一つをとっても非常に凝った作り。ページを眺めながら舞台の起伏がイメージできるという稀有なレイアウトとなっております)

『小栗』は2003年まで上演されましたが、その後2008年〜2010年にかけて、シアターXプロデュースの元、遠藤啄郎とケイタケイ氏の共同演出により、コンテンポラリーダンスとのコラボレーション作品『小栗と照手』として舞台化されました。その新たな舞台化の折、言語学者の方に改めて言葉のチェックをしていただいたことがあります。

「この文中途でやめないで、奥へ通いて”に”返事申せと読まうかの」「その体をば真の漆で塗り固めて”に”馬頭観音といはうべし」

『小栗判官・照手姫』には、このように「〜て」の後に「に」がついて、「〜てに」となっている箇所がいくつかありますが、かつて、言語学者の方から、単に「〜て」とした方が良いとアドバイスされました。しかし、「〜てに」は『小栗判官・照手姫』の原作『をくり』以外の説経作品でも共通してみられる特徴であり、取り去ってしまうべきかどうか悩ましいところです。

ちなみに、この「〜てに」は伊勢方言であるという説があり、伊勢周辺で活躍した説経者たちの影響があったと主張する学者もいます。また、伊勢の影響力が強いということを理由に、『をくり』は伊勢周辺(青墓など)で最終的な物語にまとめられたという説もありますが、それとは別に、勧進比丘尼などの説話を元に、藤沢の遊行寺で成立したという説も主張されています。

歴史的記録に乏しい説経節には不明な点が多く、『をくり』はどんな経緯で成立したのだろう、説経節が人形操りと結びついた時にはどんな節がついていたのだろう、作品に潜む中世の人々の世界観や願望など、気になることが次から次へと出てきます。こういった謎の数々について思いを巡らすのも、説経節の楽しみ方の一つかもしれません。

目次