ツアー記録(4) 7月25日 移動日|7月26日 酒田公演 港座

ツアー記録第四回目、今回は山形から酒田への移動日、酒田公演当日の様子を書きました。酒田の港座は、創業以来、芝居小屋、映画館、そして現在の音楽を中心とした施設へと姿を変えて100年以上残ってきた興行施設です。山形公演の会場だった議場ホールとはまた違う意味で、歴史を感じる空間でした。

目次

【吉岡紗矢の手記】

7月25日 移動日

本日は酒田への移動日。朝ストレッチとテニスボールマッサージの後朝食。山形国際ホテルは朝食のバイキングに郷土料理がたくさん出ており、芋煮がとても美味しい。PCR検査キットの準備に手間取り集合に遅れてしまう。ロビーの、これまで出会った中で最高に心地よい革のソファーでゆっくりくつろぐつもりだったのに座ることも出来ずとても残念。郵便局で検体を郵送し、酒田へ出発。朋さんのお母さんから玉蒟蒻やきゅうりやナスの漬物を差し入れでいただき、車の中でつまみながら行く。朋さんのおすすめで加茂水族館にクラゲを見に行く。
魚の展示、クラゲの展示共に見どころを押さえておりいちいち驚きがある。見やすいように少し水槽が小さいのかという疑惑。水中をひらめく生き物を見ていると、その身体性が自分の体に影響し、なんだか身体的に自由を感じる。
クラゲタピオカのメロンパフェというものを食べた。クラゲがタピオカのように丸くカットされており、パフェに添えてある。クラゲには何の癖もなくパフェとして美味しい。

湯野浜ホテル割烹小三郎に着。和室の旅館。のびのびストレッチができる部屋で嬉しい。夕飯まで自由時間。夕方日差しが弱まった頃、ホテル前の海岸に散歩に出る。奥本くんは既に泳いで、今はもう部屋で休んでいるらしい。松本くんと膝下だけ海水に浸して歩いていると、朋さんが海水パンツ姿でやって来た。ずんずん深い方へ行って、テトラポットの切れている間辺りでくるくる背泳ぎをしたりして気持ちよさそうだ。私たちの近くまで来てそこでもくるくる泳いでいらしたが、突如立ち上がるとそこは膝下くらいの浅瀬だった。長身の朋さんがそんな浅瀬で転げ回っていたかと思うと可笑しさが込み上げる。今度は朋さんがテトラポットから何か両手に潜めて持って来た。砂浜で手を開くと小さな蟹が出てきた。「お前は今日からこっちで生きろ」と朋さんは言うけれど、蟹は熱い砂に放たれて戸惑ったように固まっている。あっちには家族もいたかも知れない。戻してあげないと可哀想なんじゃないかと言うと、しばらくして朋さんはまた蟹を両手に潜めてテトラポットの方に向かった。朋さんは私たちに蟹を見せに来てくれたんだなぁと思う。農業や果樹園を営んでおられたご実家で健康な美味しいものをたくさん食べてのびのびと大きく、このように無邪気に成長されたんだなぁとしみじみ、朋さんの人柄を思う(朋さんのお父様は、農業詩人で、地域に根ざした平和運動や文化運動、有機農業運動を作り上げてきた方です)。陸の方からの温かい流れを発見。どうも温泉が海に流れ込んでいるよう。私たちは足首を浸し、朋さんはその更なる浅瀬でまた転げ回っている。

旅館で丁寧な晩御飯を出していただいている時、お給仕してくれた年配の女性が、明日の酒田公演に時間が取れたら是非行きたいと言ってくださる。チケット代が安いのねぇとしきり。そして「スナックで上演して回ればすごく当たると思う」としきりに仰る。考えたこともなかったが世にあるスナックを夜毎回ったら確かに凄い数の人に観ていただけるかも知れない。紙芝居くらいの大きさの影絵セットにして、小さいけど凄い迫力の影絵作品を作ったら面白いかもと思う。流しの影絵芸人風情。
晩御飯の後、海岸での歌の稽古に松本くんにアコギで付き合ってもらう。どうも声が疲れていて響きがイマイチなので声を整えようと思ってのこと。広大な海に自分の声が小さく消えて心許ない限り。しかし荒れた声が少し調子を取り戻す。松本くんは違うシチュエーションだと新たなフレーズが生まれると発見を楽しんでいた。

7月26日 酒田公演 港座

今日は酒田の港座という、ライブあり映画上映ありの劇場で、元々は芝居小屋として1886年に創業というとんでもない歴史のある場所だ。
朋さんは別件の打ち合わせのため一足先に出かけ、私たち三人は9:30に宿をチェックアウトした後、宿の裏山に見えた鳥居の所まで行ってみることにする。しばしうろうろした後道を見つけ登って行くと、墓地を過ぎた辺りから荒れ放題で、行手を阻む草を掻き分け、足元にたくさんうろうろしている団子虫に気をつけ蜘蛛の巣を避けながら進む。先頭を行く奥本くんが、鳥居の真ん中に草を立て掛け通行止めしているようにも見える所で立ち止まったが「行こう!」と言うと「嫌ですよぉ」と言いながら進んでくれる。距離にしてさほど行かない所にお堂があった。左右にお狐様がいる稲荷神社だ。打ち捨てられているかに見えて地元の方は来ておられる様子。ペンキも新しい。
車で港座近くへ向かう。即身成仏された方が安置されているという海向寺に立ち寄るが休館。近くの日枝神社を参拝、日和山を散歩するうち、松本くんが暑さで具合が悪くなり、どこかお店に入ることにする。朋さんがお勧めしていたワンタンメンの店まで歩き店内を覗くと、何故かそこに朋さんが。白崎映美さんも一緒だ。入口の検温機で松本くんにブザーが鳴り、見ると38度と出ている。焦ってもう一度測ると正常体温になっていた。炎天下から冷房の室内に飛び込み、体表温度が高かったのだろう。松本くんは「体温調節機能がおかしくなってしまった。変温動物になってしまった」と気にしている。美味しいワンタンメンの後、さらに劇場入りまで休むため、そこも朋さんお勧めのケルンという喫茶店に行く。店に入るとまたしても先に麺屋を出た朋さんがいる。白崎映美さんも一緒だ。「お勧めした店をちゃんと回って君たち偉いねぇ」と朋さん。松本くんは自分を元気付けるために豪華なパフェとブルーマウンテンコーヒーを注文。奥本くんは渋いみつ豆を食べた後、省エネモードに入りすやすや眠っていた。
14時、港座入り。昔風の小さな映画館。松本くんたちは昭和っぽいというけれど、私の方が昭和時代が長いので客観性の度合いが違い、私からは「昭和っぽい」という言葉は出ない。劇場の方が仕込みに必要なことに即座に対応してくださり、プロのスタッフのいる劇場に来た安心感を覚える。劇場の大きさも舞台の高さも間口も、会場の響きも影絵上演にぴったりだ。仕込み、リハーサル、「昭和っぽい」ロビーでおにぎりと味噌汁。控室はなんと映画館の小ホール。客席とスクリーンがあり、明かりが暗いということで撮影用の傘が付いたライトを二つ点けてくださった。こんな控え室はこの先経験することは無いかも知れない。


19時開演。昨夜歌の稽古で整えたので声の調子がとてもよい。リラックスしたお客さんたちが『月夜のけだもの』で随分笑ってくださった。調子が良い時は開演前の鏡に映る自分が美しく見える、気がする。『極楽金魚』の冒頭でお客さんに対面して語る時、一瞬頭が白くなったが、考えたりしなければ言葉は出て来る。そういえば前回の山形公演の『極楽金魚』でおさきの出の場面で頭の言葉が出なかった。音楽を聴いているうちに出てきたので、知っているメンバー以外には気付かれなかったかも。そして前回の山形のアンケートに「月夜けだものでも極楽金魚のテンポがあればもっとよかった」というご意見をいただき、今日はテンポ良く進めたらお客さんが笑ってくださった。作品はお客さんに育てられる面もある。書いてくださった方に感謝します。終演後スクリーンの裏で、鼻血を出した白熊が大人気だった。今日のお客さんは芝居を見慣れている方が多く、ご自身もパフォーマーという方が多かったようだ。

大急ぎでバラシ。今夜はこれから秋田へ移動しなければならないのだ。港座の方々も運搬をせっせと手伝ってくださり、荷積みするなり息つく間もなく出発。しばらく走ってから、忘れ物の最終チェックをしなかったが大丈夫か不安になる。(ツアーを終えた後、松本くんがカートを無くしていたことに気付いたが、この日に無くしたのかはわからない)
コンビニで飲み物とご飯を買い、駐車中の車の中で食べる。学校回りの旅をしている劇団のような忙しさだ。秋田へ向けて運転再開。23時を回っていたと思う。運転は奥本くん。助手席で朋さんは眠気と戦っている。昨夜早寝をして、朝は1時に起きたとか。1時は朝ではない。私は喉が疲れていたがみんなが頑張って起きていようと喋っていたので相打ちを打っていたが、それが間違っていたことは後で分かった。喉が疲れた時は無言になるべし。今回のツアーの重い教訓だ。途中で運転は朋さんに代わり、1時に秋田着。秋田市街のど真ん中にあるアルバートホテル。眠いが衣裳の洗濯だけして寝る。長い1日だった。

【松本利洋の手記】

7月25日 移動日

山形から酒田への移動途中、クラゲで有名な加茂水族館に行く。作品展示と言って良いくらい順路に工夫が施されており、大変楽しめた。昼ごはんはこの水族館の中に入っているクラゲを扱ったレストラン。食べやすそうなものの中から、くらげラーメンをいただく。味は味噌味。シンプルながら美味しかった。

次の公演は酒田だが、宿泊は湯野浜という少し離れた町。昨今の情勢下の影響もあるだろうが、人の数の割にはやたらと大きい旅館が立ち並び、ちょっと不思議な雰囲気。綺麗な海がすぐ近くにあり、盛況時にはたくさん人が来るのだろう。事実、翌日ワンタン屋のお店に入った時のテレビだったか、観光で賑わう町が今どうなっているか取材している映像で、湯野浜が映っていた。
車で宿に着く直前、ライオンと亀の人の背よりちょっと高いくらいの目立つ像が立っている場所がある。その近くには、「政府指定」だったか、やたらと荘厳な雰囲気の旅館。そんなところを横目に見ながら、半ば民宿のような2階建てのホテルに到着。民宿みたいなところだと朋さんは説明してくださっていたが、その言葉でイメージしていたよりもだいぶ立派な建物であった。お年を召した女将さんが出迎えて、ニコニコと一生懸命に説明してくださる。気取らない、温かい出迎えで気分が少し緩む。
部屋に着いてから、山形で買った資材を元にケーブルを2本作り、それから海へ。僕と紗矢さんは公演もあるし、ということで水に足をつけるくらいで終わらせたが、奥本くんは僕よりも先に海に行って泳いだらしい(遭遇はできなかった)。しばらく浜辺を歩いていると朋さんが駆けつけ、楽しそうに泳ぎ始めた。
僕と紗矢さんは足をつけるだけだったとはいえ、意外と遠浅な海だったので、遊泳可能区域のギリギリまで行ってテトラポッドの近くまで行き、そこに棲むカニを見たりすることもできた。


浜辺にはかなり蛇行をしながら海に注ぐ温かい小川が走っている。最初は流れの緩さから太陽によくあたためられたがゆえに温かいのかなと思ったが、他の小川はそこまで熱くなかった。おそらく温泉のお湯がどうにかして浜辺まで流れ着いているのだろう。
そういえば浜辺に出かける時に、女将さんが「ゆーーーっくり行ってらっしゃい」とやたらと「ゆーーーっ」と伸ばす独特な口調で送り出してくださった。それで、本当に夕飯の時刻ギリギリに帰ってきたら「ゆーーーっくり行ってきたねえ」と同じ調子で出迎えてくれた。かわいい女将さんであった。
夜ご飯をいただいた後、紗矢さんから言い出したのだったと思うが、歌の稽古をしに浜辺へ。全く明かりのない夜の海というのは、波打ち際からちょっとでも水平線側を見ると、もう何も見えない全くの闇。流石にそういう海に飛び込みたいとは思わないが、何も見えないくらい深い闇には惹かれるものがある。ちょっとベクトルは違うが、交通ルールなどあってないような、誰もいない真夜中の街中とかも結構好きである。見上げると都会では望むべくもない数の星が光っている。
帰ってきてから宿の大浴場に入る。湯船には源泉から引いてきたお湯が流れ込んでいるが、凄まじく熱い。疲れを取るためと思って胸の辺りまで入ってみたが、風呂から上がったら水面の上と下で綺麗に紅白になってしまった。これで疲れが取れたかどうかはわからないが、本来家族4人くらいで泊まれるような広さの和室は快適で、この夜はよく眠ることができた。

7月26日 酒田公演 港座

この日から3日連続で乗り打ち(本番当日に会場入り)が続く。
宿のチェックアウトが9時30分で、会場入りが14時だったので、他の仕事により別行動の朋さんを除いたYBT組(吉岡、奥本、松本)は14時まで暇を潰す事になった。
前日浜辺に行った時、山の中腹あたりに見える大きな白い鳥居が気になっていて、酒田の中心街に行く前にその鳥居のあたりを目指して歩いてみることになった。
いざ歩いてみるとGoogleマップがあまり頼りにならず、なんとなく検討をつけてウロウロしていると、次第に坂道は鬱蒼と草木が茂り、階段も自然に戻る寸前のような有様。やがて鳥居がいくつも立ち並んでいる場所に出る。鳥居の柱を見ると個人が寄進した旨が記されており、当然どれも名前や寄進された年が違う。多くの方々がどんな思いでこの鳥居を寄進したんだろうか、そんなことを考えながら道を進むと、ようやく社にたどり着いた。しかし、その社殿の前にある鳥居は赤い。あの白い鳥居はどこだろうと探していると、奥本くんだったか、紗矢さんだったか、社から見て海側の方に、白い鳥居を見つけた。その鳥居から僕らがいた本殿まで数十メートルと離れていなかったが、高い草木が生い茂り、そこまで歩くための道も全く見えない。意思を持って探さないと気づきすらしなかっただろう。
山を降り、車で酒田市中心部へ向かう。港座近くの駐車場に車を停め、日和山(船乗りが船を出すかどうか決めるための山という意味らしい。石巻でも同名の山を訪れた)を歩く。その公園近くにある日枝神社あたりから、僕はだんだん調子が悪くなり、木陰でずっと座っていた。しかし、そんな中でも社の柱や梁に、これでもかと彫られた猿や象の装飾は迫力があり、印象に残っている。
その後、昼間に酒田名物というワンタン麺屋の体温計測で38度を叩き出してしまう(が、ちょっと時間を置いて測ると36度台に戻る。前日も加茂水族館で似たような事があった。しかし、今までこんなことはなかった……どうも、ツアーの疲れで体温調節機能が弱っていたようだ)。始終頭がぼーっとして若干頭痛もするような状態が続いた。おそらく軽い熱中症だったのだろう。この後さらにケルン(喫茶店)にも訪れる。カクテルが好きな方には有名な喫茶店(夜はバー)らしい。とても雰囲気の良い喫茶店であった。


酒田の会場、港座は昭和の雰囲気が色濃く残っている映画館だ。大田区の町工場が密集する中にポツンと建っていたバッティングセンターを思い出した。そのバッティングセンターではものすごく古いビンのコーラの自販機が置いてあり、それを楽しみに行ったものであった。今思うと、いかにも昭和という感じがする場所である。
座席は映画館と同様なので、とても観やすそう。機材が色々準備してあり、オーナーの菅原さんのお手伝いも非常にスムーズで、大変速やかに仕込みが終わる。仕込み終わりの休憩中、落ち着いて会場を見渡してみると、配線の様子など、そこかしこに手作り感があり、思わず親近感が湧いてしまう。ロビー付近の張り紙からは、舞台利用だけでなく、スタジオとしての利用も可能と書いてある。しかもレコーディングまでできてしまうとは。お値段もとても安い! 僕が酒田に住む高校生だったら入り浸っていたかもしれない。地元を盛り上げようと奮闘する姿に敬服。船劇場も頑張らないといけないですね。

終演後、さる有名劇団に所属していた方が、気さくに話しかけてくださる。また、『極楽金魚』という物語にひたすら感心される方もいらっしゃった。作品を楽しみ、受け入れてくださり、とても嬉しい。
お客さんが帰られた後、バラしてすぐに秋田へ移動。ホテルに着いたのは日付が変わってから。『恋に狂ひて』ツアーの京都〜神戸間を思い出すような移動である。あの時は1日目の京都が夜で翌日の神戸が昼という凄まじいスケジュール。今回は2回とも夜なので精神的には多少余裕があった。

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