『小栗判官・照手姫』復活上演に向けた稽古を開始しました

当劇団は昨年末より『小栗判官・照手姫』の復活上演を目指しております。この企画が動き出した経緯には紆余曲折があるのですが、その話は別稿に譲り、今回は1月中に行われた本作の稽古について少しご紹介します。

現在の参加者は6名で、主に語りの稽古が中心です。往年の『小栗判官・照手姫』と比べると人数がずいぶん少ないですが、実は遠藤啄郎は1970年代に黒テントで『小栗判官・照手姫』を役者三人の語り芝居で上演しています。これだけ少ないと一人あたりが演じる役の数は膨大になり、当時の台本を読んで想像すると、それだけでぐったりしてしまいます……それはさて置き、三人でも『小栗』が上演できるということを手がかりに、継続的に集まれるメンバーで時間をかけて作っていこうということになりました。

とは言っても、今回元にする台本は1980年代以降に使われていた横浜ボートシアターでの上演版です。作品の本文はもう絶版となっている脚本集『仮面の聲』にも収録されていますが、本編の前には謎めいた「餓鬼達の夏芝居」という遠藤自身による詩が掲載されています。この詩は実際に役者が手にする台本にも印刷されており、『小栗』という作品にとってはもちろん、さらには横浜ボートシアターの演劇において非常に重要な発想を提示しているものと言えそうです。

ところで、実は『小栗判官・照手姫』の脚本には、観客からはわからない設定があります。それは「全てのコロス(役者)たちは餓鬼である」というものです(本来「コロス」と表記されるような箇所は全て「餓鬼」という表記になっています)。

役者たちはその設定を引き受けて自らの中に餓鬼を見出し、稽古の場(そして本番)においてそれを強烈なエネルギーへと昇華し、表現することが求められます。「餓鬼達の夏芝居」は『小栗判官・照手姫』という作品に遠藤が組み込んだ仕掛けを詩的に表現すると同時に、現代において死者をも含む壮大な宇宙観を表現する上で、どんな困難が待ち受けているかを語ったものでもあるように感じられます。

新年最初の稽古では、本編の稽古に入る前に、まずこの詩を何回も声に出して読み、そこから受ける印象を話し合いました。その後、餓鬼たちが舞台上へ集まってくる冒頭のシーンが重要という指摘を受け、コロスの勢揃いまでを稽古することに。思い思いの場所から湧き出るように舞台上へと集まり、自然と一体になるまでを何度か繰り返します。現時点でもハマった時の迫力にはすごいものがあり、「餓鬼」という設定の効果を実感しました。

さらに残った時間で、ようやく仮に役を振り分けての本読み。『小栗』の言葉は本当に調子が良く、語っているだけで楽しいと参加者は口を揃えて言っておりました。

ところで、1月16日に横浜吉田中学校コミュニティハウスで『小栗判官・照手姫』に関するお話し会をする機会をいただきました。このイベントの開催が決まって以降、劇団の中では『小栗』を深掘りする機運が一気に高まり、作品の根幹にある熊野信仰、時衆、餓鬼病み(ハンセン病)、そして説経節などについて、改めて勉強し直しております。総合監修の堀尾氏からは「演劇はお勉強じゃないからな」と釘を刺されましたが、舞台が理屈っぽくならないように気をつけつつ、今後も大いに学んでいきたいと思っております。

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