語りワークショップ日誌(2014年11月17日)

本日は参加者が少なくゆったりとした稽古でした。しかし、発声については個人的に思うことがいくつかあり、とても実りの多い稽古となりました。

 

日々の修練について

 

春に行った公演「恋に狂ひて」で、私は長年の発声や芝居の癖を見直す大きなチャンスを得、公演後、それを本格的にモノにするため、日々練習を重ねていました。

先日、六日間ほど続けて発声練習をしない日が続きました。

すると鼻の後ろ奥の方から上にかけての響かせる空間が閉じてしまい、腹の支え方も曖昧になり、舌根も下がり切らなくなってしまいました。

慌てて毎日の基礎練習を再開しましたが、稽古を休む前ののびのびした状態に戻るのに十日間くらいかかってしまいました。

以前、歌い手や演奏家のこれと同じような体験談を耳にしたことがあるように思いますが、実際にそうなのだとわかり愕然としました。

 

役者とは肉体労働者なのだとつくづく思います。けれど肉体労働の対価を得る訳ではなく、身に着けた技術が無ければ仕事にならないので、技術職と言えます。技術を身に付けた上で、ある水準の表現ができなければ、いくら修練に時間を費やそうとも職人の下積みと同じで一銭にもなりません。

舞台をやるからには日々修練をしなければならず、修練に時間を費やすなら、何としても一人前にならなければ報われないのです。

演出家や作曲家が仮にホワイトカラーだとすれば、ブルーカラーとしての役者の闘争心というものがあったりします。(もちろん演出家や作曲家にも下積みがあり、日々の努力があり、報われない人生もあり、死ぬような思いをして創作していることにも敬意を持ちます。単に隣の田が青く見えるだけかもしれません…)

 

響きと色気について

 

本日、語る声が豊かな響きを持っている時、色気を感じたという発言がありました。

力みと響きは相反するもので、力みと色気も対極にある気がします。

参加者の何気ない素直な意見から、色気と言われるものの正体がくっきり見えた気がして、ハッとしました。

 

吉岡紗矢

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