歌から台詞へ ―― 「恋に狂ひて」稽古日誌2/15 ――

皆さんこんにちは。奥本です。前回の稽古から10日以上過ぎました。稽古日誌を書く書くと言いながら、すっかり忘れていたのです。反省しております。
さて、この日は作品の流れを思い出すことを主として稽古を行いました。

作品の流れを思い出すと言っても、改めて作らなくてはならない場面もいくつか存在します。

例えば、歌から台詞へと変更されたシーンです。

というわけで、まずは歌が台詞へ変更されたシーン「春はまがきに~~」から稽古をスタートしました。

このシーンは女性コロス2人と愛護の若が出てきて、愛護の健やかな成長を伝える場面です。
以前の演出では、女性3人による歌が中心となり、間尺や動きを作っていましたが、今回は歌が台詞へと変わり、シーンの作り方がまったく変わってきました。
歌があると、その歌のメロディが持つ雰囲気でシーンの切り替わりや飛躍が表わされ、場面の状態がわかりやすく伝わるのですが、台詞となったことで、動作や場面の作り方による具体性が求められるようになりました。

どういうことかと言うと、それまでと同じ動作をしていると、愛護の若がどこにいて、何をやっているのか、舞台上で何が起こっているのかが伝わらないということです。
俳優たちも歌から言葉に変わった間尺の変化や、本質的なシーン構成の変化を感じ戸惑っているように見えました。

そこで、遠藤さんが動きます。

「もう一回返そう(注:もう一度、同じシーンをやろうということ)」

ステッキを付きながら、遠藤さんが舞台へ向かいます。

「じゃあ、出てきて」

と、稽古が再開します。

当初は、二人の女性コロスが最初に出ていたのですが、

「愛護から出よう」

と、愛護の若から出てくる演出に変更。

“ん? どういう狙いだろう?”

考えながら稽古を見ていると、やがて以前との違いに気が付きました。

コロス二人が先に出るよりも、愛護の若が出た方がよりシーンに具体性が出るということです。

“コロス = コーラス”であり、観客席から見た場合、コロスは語り手で人形遣い、台詞や物語を通して場面を作り上げます。その一方で、コロスとは何かということが語られない場合、コロスがいるだけでは、場面を特定することが難しいのです。

けれども、愛護の若というのは、物語に登場する特定の人物であり、愛護の若が現れる場やシチュエーションは限定されます。例えば、愛護は貴族の子供ですから、二条の館(愛護の家)の庭であるとか、一緒にいるのはお世話をする人であるとか、ということです。

“おお、なるほど”

僕は一人合点しながら稽古を見ていました。
このシーンをある程度作り直して、遠藤さんが席へ戻ってきます。

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「面白いね。歌が台詞に変わると全然違ってくる」

と、満面の笑顔でした。

やがてシーンが進み僕の出番も出てきます。
まずは、手白の猿です。けれども、手白の猿の動線をすっかり忘れておりました。
皆さんごめんなさい。

と、稽古はこの様に進んでいきました。

途中休憩をはさみ、後半からは玉寄さんも登場し、冒頭から最後までざっと思い出しながら舞台を通しました。

次回3/1の稽古は振付家の森田守恒さんがいらっしゃいます。

どのような振付がつくのか非常に楽しみです。

奥本聡(出演・制作)

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