劇団新企画「シリーズつなぐ〈艀〉」10月6日開催!

ツアー記録(3)7月23日 移動日7月24日 山形公演 文翔館・議場ホール

しばらくぶりのツアー記録です。実はこの投稿の前々日(8月9日)、船劇場で関係者向けに今回のツアー報告を兼ねた上演会を行なっておりました。暑い中いらしていただいた皆様には大変感謝しております。この上演会は、ツアーのスケジュールには入っておりませんが、一昨日をもってようやく今回のツアーが一区切りつきました。

さて、記録はまだ序盤。石巻から山形への移動日、そして山形公演当日です。

目次

【吉岡紗矢の手記】

7月23日 移動日

本日は石巻から山形への移動日。昨夜の上演で声の響きが悪かったので、朝ご飯前にストレッチ。テニスボールで背中のマッサージ。その間、なぜ響きが悪かったのかを考える。一つは寝不足。そして思い至ったのは車の後部座席に首の支えがないということだった。7時間の車の移動で背中と首がカチカチになったのだ。芸歴も長いのにそこに気付かないとは情けない。この先移動に移動を重ねるので、対策が必須だ。低い背もたれに首をもたせかけられるよう、今日中にクッションを購入しようと思う。

山形への移動の前に石巻の日和山に立ち寄る。海を臨む高台には、11年前の景色の写真が展示してあった。そこには人々の住宅がたくさん写っている。今、目の前に広がる景色は、再建はされているが施設のようなものばかりで、人々の日常が津波によって奪われたことがよくわかる。あの日、日和山へは九千人が避難したとか。私たちに話しかけ教えてくれた男性によると、津波で日和山は島になってしまい、救助が来るまでの十日間、食べ物はほとんどなく、皆でかけらを分け合うような状態だったという。「トイレが大変でした」とのお話。男性は最後にご自身の息子さんを津波で亡くされたことを話してくれた。お孫さんを迎えに行って行き違いになり亡くなられたそうです。「避難したら絶対に戻ってはダメだ」男性は毎日この場所へ来ている。

その後松島に立ち寄る。雨上がりの海と島々、赤い橋が絵のよう。道中クッションも無事購入。山形美術館、城跡の公園を巡り、疲れを取ろうと温泉に寄る。20時を回ると夕ご飯で目当てにした店がことごとく閉まっていた。やっとありついた時は皆ぐったりと疲れが出て、「二日目にして無言」という松本くんの名言に力なく笑い、肉蕎麦を食べその日は山形国際ホテルに泊まった。

7月24日 山形公演 文翔館・議場ホール

今日はこの度のツアー唯一の昼公演。山形の街は八月初めの花笠祭りの準備で賑わい、色とりどりの提灯が飾られている。会場は元県庁舎及び県会議事堂で今は国の重要文化財に指定されている文翔館の、議場ホール。明治10〜16年に建設されるも火事で消失、大正5年に再建された英国様式の趣ある建物だ。合理的で無機質な近代建築とは全く違い人間味を感じる。格調高い調度品。窓からは手入れの行き届いた美しい庭が見える。かつて使っていたというトイレが男性用だけであるところに時代を感じる。時間があればゆっくり観光したいところだ。

9時に搬入、二時間超の仕込み、一時間のリハーサル、14時開演。会場はかなり響くが流石に議事堂なので言葉がわからなくなるほどではない。赤い重厚なカーテンを閉めていよいよ開演。山形は朋さんの地元でもあり、たくさんの方にご来場いただいた。客席の広がりに対してもう少しスクリーンを高くした方がよかった。上演はまずまず。終演後スクリーン裏にもたくさんの方が興味を持ってくださった。17時の閉館に向けて大急ぎでバラす。朋さんの妹さんや従兄弟の方がせっせと手伝ってくださった。

退館の足で百目鬼温泉へ。涼やかな夕暮れの田んぼがいい匂いだ。夕ご飯は朋さんの案内で山形の郷土料理の店へ。店のおかみさんが驚くほど人見知りで、はじめ何か怒られているのかとかなり不安になったが、終わり頃はひっぱりうどんの食べ方を教えてくれたり。ホッとした。お刺身で、揚げ物でいちいちジャンケン、味より子供になった思い出となる。芋煮も食べた。山形国際ホテル泊。

【松本利洋の手記】

7月23日 移動日

朝食後、石巻を出る前に、小高いところから沿岸部を一望できる日和山公園へ。遠くからでもよく見える大きな神社の鳥居のあたりで景色を観ていると不意に話しかけられる。震災で御子息を亡くされた方であった。ご本人の切実な思いが伝わってきて、何と言ったらいいのか、うまく言葉が出てこず、ただお話を聞かせていただき、ともにいる時間を共有することしかできなかった。別れ際、日和山公演に松尾芭蕉の銅像、宮澤賢治の記念碑などが立っていることを教えてもらい、先に車に戻った奥本くん、朋さんを待たせないよう足早に見学する。

昼過ぎ、次の目的地・山形に行くと思いきや、斎藤朋さんのアイディアで近くの松島に立ち寄る。雨上がりの松島(神社周辺)はとても綺麗で、自然と人間が作ったものが高いレベルで調和しているように感じた。

そしてようやく山形へと移動。閉館直前の美術館に滑り込み、慌ただしく絵を鑑賞する。その後、ひぐらしの声がすぐ近くで聞こえる温泉で疲れを取った。

7月24日 山形公演 文翔館・議場ホール

今回唯一の昼公演。午前中、議場ホールに搬入開始。会場全体が文化遺産のため、慎重に仕込む。

議場ホールは広さもあり、結構響く。が、元々議論をするための空間ということもあってか、想像よりは言葉が聞き取りづらくはなさそう。しかしそんなことより、この会場で特筆すべきは格調高い雰囲気。よく手入れされた芝生や植木が窓から見え、ホール入り口周辺の石畳もとても綺麗である。扉やテーブルの調度品は言うに及ばず、客席用の椅子まで立派なものである。かつて山形の名士たちが一同に会し、喧々諤々の議論を展開していたであろう名残を十分に感じることができた。

ツアー前から公演当日に至るまで深く考える余裕がなかったが、今ゆっくり振り返ってみると、この場所で行われる『極楽金魚』『月夜のけだもの』の公演にどんな意味があり得ただろうということを少し考えてしまう。例えば、元議場であるということに因んで、『極楽金魚』という作品について、みんなで話し合う時間を設けるなどして、その会場ならではの工夫を盛り込むとか(現実的な条件は無視してますが)。

閑話休題、仕込みの時に大事件が発生する。PCからスピーカーに繋ぐ時に使っていたオーディオインターフェイスがいきなり壊れてしまう。2016年の公演の時にも『極楽金魚』のリハでオーディオインターフェイスが壊れたことが脳裏によぎる。あの時は新宿からすぐの会場だったから、慌ててヨドバシだかなんだかに行って、安いやつを買ってきた。しかし、なぜ決まって『極楽金魚』なのだろうか。ともあれ、ほとんど奇跡に近いが、たまたま持っていた予備のケーブルで対応できたため、ことなきを得た。

公演は山形が斎藤朋さんの地元だけあり大盛況、ご親族の方も応援に駆けつけてくださる。時間の都合上、公演後のバラしにかけられる時間がとても短く、本当にご挨拶をちょっとするだけになってしまった。また、音楽がジョジョっぽいと声をかけて下さった方がいらしたが、その意味を十分に把握するにはあまりにも時間が短すぎた。毎度のことではあるが、公演後、多くの人とお話をする時間がなかなか取れないのは残念なことである。

撤収完了後、楽器屋へ車を回してもらい、切り売りのケーブルと、PCから直接音を出すための変換アダプター類を購入。PCから直接スピーカーに繋げるための応急処置である。荷物にハンダ付け道具とプラグも一式持ってきていて良かった(全くの余談ではあるが、2020年以降、ペダルボードを作り込む決意をして以来、パッチケーブルの出費を浮かすために自作しまくり、ハンダ付けに対する抵抗が一切なくなった)。

そういえば、2019年までは実機のエフェクターではなく、PCとMIDIフットコントローラーでやっていた。荷物の分量が減り、重量も比較的軽いから旅に向いてるし、音色の可能性もかなり幅広い。しかし、この方法を取っている際にずっと意識していたデメリットがいくつかある。

一つは、ノイズがちょっと大きいような気がするということ。生声に合わせた音量になっているとはいえ、それなりのノイズが常に出ている状態だと、芝居への影響が皆無とは言えなくなる。

もう一つは、PCの調子が悪かったり、オーディオインターフェイスが壊れると一切音が出せなくなるということ。これは、何でもかんでもこれ一台!というスタイルにすると必然的に生まれる問題だ。PCやオーディオインターフェイスというデリケートな機材が、移動中にどうかしてしまったりとか、リハの最中にいきなり挙動がおかしくなるとか……壊れる時はなんの前触れもなく壊れることがあり、怖い。

エフェクターボードを全面的に導入して、以上二つの問題が少し改善した。まず、ノイズについては、PC経由でギターの音を出していた時よりも確実にノイズが減った。また、PCとは完全に別の経路で音を鳴らせるし、ボードにはたくさんのエフェクターがあるため、どれかダメになっても、まあなんとかなるだろうという安心感がある。そもそも、エフェクターはある程度頑丈に作られているので、その点も嬉しい。

デメリットは、とにかく重い。2020年に『極楽金魚』を撮影した時は5ループのスイッチャーとサブボードを組み合わせた構成で、カートに縛り付けて移動してもそこまでは疲れなかった。しかし、今回は8ループに拡張して半間にもなろうかという幅のボードに変えたせいか、カートを利用しても洒落にならないくらい重く、ツアー前の稽古では移動するだけでも疲れ果ててしまった。免許がないことの不便さを、今回はしみじみと感じる。

車は昨日に引き続き、温泉に向かう。道すがら、朋さんの実家のすぐ近くまで立ち寄る。昔は作物を作っていたが、最近はひまわり畑に生まれ変わり、ちょっとした観光スポットになっているらしい。車中を移動するときにずっと見えていた小高く綺麗な山が、麓に住む家や畑をいつも見守っているようにも見えた。

温泉に着く。貴重品ロッカーでお金を入れていないのに鍵を閉めようとして悪戦苦闘してしまい、お店の人にめちゃくちゃ怪しまれてしまった。お風呂では昨日と違ってひぐらしがすぐ近くに聞こえるところではなかったが、自然の豊かさは存分に感じられた。一風呂浴びてお店から出るとき、対応してくれた方は既にいなかった。その後、遅くまで開いている地元の人が通うような飲み屋風のお店で夕食。

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