コラム――演劇と武術の関係 第三回

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<第三回 武術に関する考え方>

第二回では、“身体表現”には三つの要素“運動能力”、“表現の様式”、“身体感覚”が存在し、それぞれが有機的に結びついた時に、面白い身体表現になるのではないかと述べました。
今回は、もう一つの軸である“武術”について考えを述べます。

まず、武術の目的について考えてみたいと思います。武術の目的は究極的には“相手を制するための技術”だと考えます。それは、徒手空拳であっても、武器術であっても同じです。ただし、“相手を制する”とは“相手を倒す”ことと同じではありません。相手のやりたいようにやらせないことも、“相手を制する”範囲に含まれるためです。

この目的の部分がまず表現と異なることに注意してください。表現では様々なことを表します。
感情なら、悲しい、嬉しい、寂しい、楽しいなど喜怒哀楽を表現しますし、人物なら王様、道化、化け物、美女……様々な人物があります。表現は、こういった様々な事象を表すことにチャレンジしますが、武術はシンプルです。“相手を制する”ただそれが目的であることに注意してください。

と、言っても武術の中には精神性を大切にする、精神を養うための武術というものもあります。流派や先生によって考え方は様々にあるでしょう。その場合は、“精神を養うこと”のための体系ということになります。とすれば、目的は一つ精神を養うためにすべてが体系づけられていると考えるのが自然です。こちらも、表現のように色々と考える必要はありません。

もっとも、武術はシンプルな動作と目的があるからこそ、深いのだと思います。剣術の素振りや空手の正拳など、動作自体はいたって単純です。それらはまず形を覚えることから始まりますが、そこで終わりではありません。正しい体の動かし方をしているのかを探しだしたり、どのようなシチュエーションを想定しているのか想像したりと稽古の質が変化していきます。そこが、魅力であり身体表現の参考になると考えています。

“武術の目的は人を制することであり、表現とはことなる”

これは、当たり前のことですが、私は武術を始めてから1年くらいこのことに気付きませんでした。このことは、言われれば当たり前です。当たり前だからこそ、言葉にしておきたいと思います。武術は“人を制するための技術である”と。

それでは、前回の身体表現のように分析した時に、武術にはどの様な要素が含まれているでしょうか?

私は一番初めにくるのは“思想”だと思います。日本にも中国にも武術には様々な流派がありますが、何故そんなにも沢山の流派があるかと言えば、思想や歴史が異なるからです。“人を制するとはどういうものか?”、“どのように人を制するのが良いか”そのことを思想と呼んでいます。

例えば、太極拳には太極拳の経典が存在し、その中で太極拳の思想を語り、新陰流には転(まろばし)という考えがあり、宮本武蔵の二天一流は「五輪書」の思想がベースになっていると思われます。私が学習している戴氏心意拳にも「心意拳譜」という本があり、心意拳とは何かを喩や詩を用いて書かれています。武術とは(特に日本や中国の古典武術とは)ただの技術体系や身体操法でなく、それらの技術も、身体操法も門派の哲学に則っていると私は思います。

別の言い方をすれば、“人を制するとはどういうことか”、“どのように人を制するか”という思想を具体化したものが、技であり、学習体系となります。基本的には、技も学習体系も、その流派の根本的な思想から離れては存在しないということです。

ちなみに近代武道では、ルールが思想の現れでだと思います。

さて、思想の次に学習体系が挙げられると思います。
武道全般に見える型であったり、ボクシングの正確なフォームなどそれらは学習体系の一つと言えるでしょう。勿論、それらを纏めた物の方が学習体系と呼ぶにふさわしいかもしれません。初心者は何を学習して、上級者は何を学習すると言ったものです。思想を体現するためのより具体的なシステムのことです。

目的があり、それを達成するための思想があり、より具体的な学習体系が存在する。
これが武術の特徴だと思います。武術がこのように体系的に整理されているということを知った時に、非常に感じ入るものがあったことを覚えています。(しかしながら、カリキュラムをこなせば上達できるわけではないです)
論理的に考えれば当たり前のことなのですが、それを体感できるということが大切な点だと思います。

また、武術は、相手に効かなければ間違っているとはっきりわかります。
そういう面での客観性が存在しているのも大切です。

武術というとやはり広すぎて上手くまとめきれないのですが、今回のコラムではここまでとしたいと思います。
個別のことについては、今後このコラム内で機会があればご紹介したいと思います。
次回からは、身体表現(演劇)と武術がどのように関係していくのか私の考えを書きます。
(途中で、番外編が入るかもしれません)

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奥本聡
1987年広島生まれで、幼少期を兵庫県芦屋市で過ごす。横浜緑ヶ丘高校を経て、慶應義塾大学を卒業。大学在籍中より横浜ボートシアターの活動に参加。戴氏心意拳や日本武術、田楽研究などの学習を通じ、アジア的な身体とは何かを探求している。

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