「船劇場」の力について

中村川の怪しい船劇場

当劇団は1981年、中村川の木造ダルマ船で、脚本・演出家の遠藤啄郎を中心に旗揚げしました。元々アトムの会という劇団が活動していたところに遠藤が呼ばれ、新たな仲間も加わり改名した形です。当時の中村川は護岸工事もされておらず風情があり、並み居る多くの船が居住や商売に使われていたとか。高級感溢れる横浜のトレンドの発信地である元町商店街のすぐ裏手に浮かぶボロ船は、当時随分怪しまれたようです。入ったことはなくても多くの人がその存在を知っていました。

旗揚げの勢いに乗って劇団はヒット作を次々と打ち出し、遠藤が紀伊國屋演劇賞を受賞するに至り、ボロ船へ、主に東京から観客が押し寄せ行列しました。その辺りが横浜に演劇を根付かせる役割を担った一団体と言われる所以のようです。

船劇場の中は異世界

その船劇場ではどんなことが行われたのか、当時の木造船をリアルに知らない世代の私たちですが、その魂を引き継ぎ、現在の鋼鉄製の船劇場で創作している身として分析してみます。

「物語を見つけること」

人々の祈りに繋がる物語、祝祭性を持った演劇の創造を行った。遠藤はかつて日本各地のお祭りに足を運び研究したという。

「目に見えないものを出現させる」「人間中心主義を超える」

仮面、言葉の持つ呪術性・音楽性などによって神、魔物、精霊、餓鬼、お化け、歴史上の人物、人間に潜む様々な要素の権化などをありありと出現させることで、人間とは何かを問うた。

「アジア人というアイデンティティを探求する」

欧米と肩を並べることに邁進し、アジアの人々を土人と蔑むような感性がまだ残っていた時代に、自分たちは何者かという問いに対し「アジア人」であるという答えを提示した。特定の国ではない、アジア的なるものを探求する精神とその表現は、各界から共感を得た。

「近代的価値観への挑戦」

70〜80年代頃の高度に成長した経済の中で浮ついていた社会に対し、何か大切なことを忘れていないかという問いかけを行った。マスになって行く伝達方法に抗う声、素材、音、空間性の提案。機械製品ではなく手作りにこだわり、仮面、衣裳、楽器等を創作。どんなに近くで見られても耐えられる素材感、生音の生み出す空間性を重視。敢えて社会から無用と見做されたボロ船を使い、そこにこそ自由や創造性があるということを証明しようとした。近代劇場の抽象的な空間に完全な虚構を作り上げるのではなく、隙間だらけの生活と地続きの異空間の中に、見えない者を出現させるという、場と密接に関わった表現を行った。

現在の鋼鉄製の三代目船劇場存続のために様々な方とお話しをすると、「向こう側」に開発され管理された街、ビル群やショッピングモールを眺め、船劇場のある「こちら側」は、明らかに主流から捨てられ忘られ行く側となっているが、そこにこそ守るべき価値があると確信して、力になりたいと言ってくれる方々がいます。船劇場が人間の本当の豊かさに資するものの一つのシンボルと見做される面は、今も変わっていないかも知れません。

船劇場をどのような場にして行きたいか

本物の芸術に出会える場

この度の船劇場の危機にあって、人々と話をすると、若い人を応援したい、後の世代に良いものを残したいという人の心をひしひしと感じます。人とは自分のためだけに生きているのではなく、大きな潮流に持てる力を託し、皆にとってよりよい未来を築きたいという願いがあるものなのだと、今更のように感じ感銘を受けます。

片や、ものづくりの現場に長く居ますと、後世も何も関係ない、己の生を賭して、死と対峙しながら創作する姿に尊さを感じます。権威や調和、打算、名声、慣習に惑わされず、己の死と対峙しながら良いと思えるものを追い求めて行く姿。そんな芸術家の一人だった遠藤には、思春期を戦中に過ごし、死を覚悟する中で迎えた終戦が刻み込んだ、生きる姿勢を感じます。遠藤はそういった意味で利己的でありましたが、2年前に91歳で亡くなるまで若い仲間と創作し、年齢を感じさせない自由さを持ち、死に様まで見せて私たちに多くのことを教えてくれました。船劇場を遠藤のような熱い芸術家たちの作品と出会える場にして行きたい。また私たちも遠藤の子供たちとして、船劇場で力を試し成長して行きたい。船劇場をよりよいものとして後世に繋げたいと言って助けてくださる方々も、船劇場がそのような熱い場であることを望んでいるはずです。皆が楽しく集い健やかで善良なものを体験できる場であることはもちろんいい、しかし演劇をはじめとした作品の発表の場としては、恐ろしさ、儚さ、悲しさ、醜さを含めた命の有様、世界の有様を感じられる場所でもありたいと願います。そのような強烈なものが立ち現れるにふさわしい、船劇場はこの世の「隙間」としての力を持っています。ビジュアル自体の魅力も大きなものですが、その真の力は単なるアトラクション、ロケーションではないと思うのです。

若い人が育って行く場

語りと人形の劇「犬」プレビュー上演(2022年船劇場にて)

先日お会いしたジャズピアニストの遠藤律子さんが船劇場を、「ここは若い人が育っていく場ですね」と仰いました。船劇場とは、自然の力を直に受けるハードな場所、風化の力が剥き出しに現れている場、安定した守られている感覚から外れる場です。役者の場合、場に対峙する実力を持たないと声も枯れてしまうほどハードです。また、水平の広がり、天と海底という垂直の広がりも感じられる場です。この度ドックに入れ陸へ引き揚げた時、船底にびっしりと様々な貝や魚の卵と思われる生き物が息づいていました。私たちが船で稽古をしていたその時も、この生き物たちは暗い船底で波に揺れていたのだと知り衝撃を受けました。

船劇場はまた雨漏り対策、潮の満ち干に対応した乗降の工夫、風雨に晒される外面の劣化対策、電力と配線のやりくりなども日々自分たちで行います。以前遠藤が描いた美しい看板が、海風に煽られ一日で粉々に壊れたことがありました。街中とは違う荒々しさに言葉を失った記憶があります。このような荒くれる自然の中で思うようにならない巨大なものと付き合い、面倒を見、好きなように工夫を凝らし、その異次元の場が与える力に若者は育てられるのだと思います。管理され空調が完備された明るく傷一つない集会室では得られないインスピレーションを船劇場は作品に与えてくれます。波や風や寒暖に鍛えられ、作品に強さが備わって行くのです。長期に渡って彫刻のように作品の形を見つけてゆく創作期間は、経済的に見れば効率が悪いと言われるのかも知れませんが、何にも代え難い、船劇場が作品と人を育ててゆく時間なのです。

40年以上前に木造船で始まった船劇場との格闘(当時は浸水して沈むと自分たちで水に潜り引き揚げることが度々あったとか)、そこで与えられた力、その力を結集しての創作は、先輩たちにとっても忘れ得ぬ経験であった様子、今でもお話しを聞く度に強く感じます。

現在「船劇場」と呼んでいる場は、今後、用途によっては別の呼び方をする場合も出て来るかも知れません。船劇場の可能性は今後さらに広がってゆくでしょう。皆様どうぞご期待ください。そして是非遊びにいらしてください。多くの人に創作し発表する場として、芸術を体験する場として、船劇場の力に触れていただきたいと願っています。

横浜ボートシアター 吉岡紗矢

よこはまかわを考える会2022年5月ニュースに寄稿