船劇場の価値

そこにあった船劇場

「何故、船劇場を使ったのですか」と遠藤啄郎に尋ねたことがある。答えは「そこにあった」からだと言うものだった。

この単純な答えを聞いたとき、何か深く画期的な理由を期待していた当時の私は拍子抜けした思いだった。

だが、時間が経ち、人の話を聞くにつれて、この回答の別の側面がわかってきた。

かつて元町の横を流れる中村川には、水上生活者や艀(だるま船)のブティック、ギャラリーなどが存在していたそうだ。艀というのは、生活の一部であり、横浜の風景でもあったと言うことを知った。

艀を使った港湾の生活、文化が変わり目を迎える時期でもあり、その艀をどうするか? そこで自然発生的に生まれたものが、船劇場だったのである。

そして、今の船劇場もそのような文化的側面を受け継いでいる。忘れ去られた生活や文化の残滓であり、世間の時間から離れた創作が出来る空間としてある。

船劇場は人工物でありながら、風や波、雨、気温、外の音といった自然の影響を必然的にうける不自由な場である。

しかし、その不自由さが、創作に力強さを与えてくれるカオスを生み出しているように思うのだ。

仮面をつけて即興をする時、仮面をつける前の時間、舞台が始まる前の時間に波を感じたときは、水に包み込まれるような不思議な集中へと誘いこんでくれる。

まるで仮面をつけた時のように、内側と外側(仮面の表と裏側にある人の意識のように)、劇場の内部と外部、双方向へ意識を広げてくれる。

常に、反対のベクトルへ忘れてはならない方向へと引っ張ってくれる。

通常の劇場で演じる時の意識が、観客、相手役、本人の三角形であるならば、船劇場は外の空間も含めた四角形なのではないか?

船劇場は人により、時により、違う顔をみせてくれる。すぐ横にある海や錆びた鋼鉄の質感からくる厳しさや、かつてあった横浜の面影……

それらは創作に計算しきれないものを与えてくれる。

創作におけるカオスはAIには生み出すことは出来ない。

船劇場の価値はそこにあると私は思っている。

奥本聡
劇団から支援者への現状報告(2023年3月)掲載