『恋に狂ひて』ツアー記録 6月20日(土)京都公演

6月20日(土) 京都公演

執筆者の文字色:吉岡 奥本 松本

この日はとてもハードだったせいで、写真をまったく撮影できませんでした……。申し訳ありません。後から提供があれば追加したいと思います。


目次

搬入・仕込み

朝食を各々すませ、8:30にホテルロビーに集合。

綾香さんはトラックを取りに駐車場へ向かう。
歩き組、車組に分かれてホールに移動。
響都ホールはビルの9階。しかしエレベーターが小さいため、装置の金パネルを階段で9階まで運ぶ。

9階までの運搬は楽では無い。パネル自体はさほど重くないからと高をくくっていたが、それは間違いだった。また、誰と運ぶかによっても重さが異なる(結局奥本は、泉さん以外の人とは全員パネルを持った)。やはりこういう時に頼りになるは綾香さんだ。ぐいぐいと運んでいく。プロフェッショナルだなと仕事をしながら思った。大物を搬入する前に女性陣はパンチと金床の設営を始めていた。

個人的な感想では、この搬入は「楽ではない」どころじゃなくて無茶苦茶キツい。皆様、本当にお疲れさまでした。また、搬入の時も搬出の時も、他の階の商業施設の出入りと時間がバッティングしてしまい、色々とご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。

舞台監督の湯浅さんが足をくじいてしまう。
舞台前についている階段を花道として使う予定だったが、消防の問題で中央に設置することができない。結局階段は使わず、花道でしていた芝居を舞台上ですることに。
このホールは客席から見て舞台が高く、そして客席の傾斜があまりない構造なので、舞台奥でしゃがむとお客さんから見えにくいためしゃがまないことに。
また船よりも舞台の奥行きがないので、舞台奥の芝居にも変更が出る。
語り・演奏が舞台前になったため、今まで見えていたキッカケが装置の陰になり見えないなどの問題を解決。
思ったより装置の立て込み作業は順調に進んでいたが、変更点が多く場当たりに時間がかかり、大急ぎで進めたがあっという間に本番直前になってしまう。

ここで、僕は受付周りへ顔を出す。毎回、手伝ってくれる人全員に声をかけて少しでも話をすることにしている。それは船や東京の公演でも一緒。集客は可もなく不可もなくという感じだ。京都・大阪で制作を手伝ってくれる小手川さんにお会いする。裏をやって下さる方のためにも頑張らなくてはと思う。急きょ、影アナの録音。これが公演に影響してしまう。

月曜日の船劇場での公開稽古から中4日経っての公演であり、舞台設置作業や場当たりで本番前に充分に時間が取れないので、出演者は短時間で集中を高め、腹を括って舞台に飛び出して行った。

楽師は当初客席の一番前のブロックの後方にある車椅子席に陣取る予定であったが、現場での検討の結果、結局舞台手前の下手側になった。見た目の都合で平台を一枚敷いた上に楽器や機材をセッティング。空き時間を利用して、制作の斎藤さんに影アナの収録・ポン出しを頼まれる。ロビーで斎藤さんが用意した原稿を、吉岡さんに読んでもらう。この影アナ音源をサンプラーに入れてポン出しするようにしたのが運の尽き、本番で最高に痛い目に遭うことになった。

終演後

舞台奥でしゃがんではいけないところをしゃがむ、そして立つ、セリフを噛む、打ち込みの音を再生したら別の音が出る、などアクシデントはあったものの、お客さんは楽しんで観て下さったご様子。出演者もスリリングな緊張感を味わった。

新しい靴を公演用におろす。慣れない靴を履いたため、本番中だと言うのに転んでしまう。終演後、裏で沢山突っ込まれる。“あそこで転んだら、あとで紗矢さんが転ぶシーンを喰っちゃうからだめだろ”と冗談交じりに言われた。

政大夫さんからは「各々相手の芝居を受ける時に、いつもより自分のペースに引き戻すことがなくてよかった。みんな芝居がうまくなったね」とのお言葉。本番前に自分の芝居を確認する時間がなかったことが、自分の芝居に固執せず周りの芝居をしっかり受けられることに繋がったよう。何事も経験です、思わぬところでいいものを拾いました。

舞台前から音楽をつけるのは今回のツアーが初めて。前からだとお客様の視点で舞台が見えるし、さぞやりやすいだろうと思っていたが、実際は舞台の半分は死角になってしまい、見やすいどころの話ではなかった。音のきっかけを役者に任せるしかない場面、見切れた役者の動きを想像しながらやるしかない場面等、かなりスリリングな思いをしながら本番を終える。もう何年もこの作品に関わってるはずなのに、初演時並みに緊張した。

本番中のサンプラーのミスについては、誠に申し訳ないことをしました。京都公演の逆MVPを決めるとすれば間違いなく僕(松本)でしょう。生涯最悪のミスだったせいもあり、京都はおろか、次の公演地である神戸を出発する時くらいまではずっと引きずってました……。

友人と再会、大学時代から友人だったけれどタイミングがあわず、一度も僕の芝居は観てもらったことがなかった。正直、緊張していた。ミスの多い舞台で合わせる顔が無いなと思いつつも、客席へ行き挨拶。嬉しいことに刺激になったようだ。後半から、遠藤さんの隣にすわり終演後もいろいろ話をしていたそうだ。彼女は声楽をやっており、「恋に狂ひて」でも力を入れていた“日本語の問題”について非常に興味を持ってくれたようだった。ありがたい。

ホールのスタッフの方が終演後「こういう芝居と知っていたら、龍谷大学の学生たちにもっと宣伝して観せたかった」という旨のことを仰って下さっていたとか。
こちらも事前にちゃんとお伝えできず残念です。
響都ホールの関係者の皆様、ありがとうございました。

バラシもハードだった。終演が20時過ぎ片付け始めが20時半前。公演でエネルギーを使ったにもかかわらずまた9階コース。綾香さんはトラックを取りに向かう。22時に出なくてはいけないのだけれど、中々テンポが出ない。“もう、22時になるから急いで~”という声がかかる。“急いでるんだけど、中々ねぇ……”と内心思ってしまう。湯浅さんが足首を痛めたことをこの時に知る。筋が伸びたとか、筋肉のトラブルだったらば、僕でも多少は何とか出来る可能性もあるのだけれど、どうも違うのではないかということ。テーピングをして、痛まない様にし、重い荷物も運んでいた。僕も頑張らなくてはと思う。

バラシを終えて劇場を出て、皆でお好み焼きを食べ、神戸に車で移動。

お好み焼屋でアンケートを拝読し、お客様が好意的に芝居をご覧になっていたらしいことが分かり、個人的には救いになりました。

移動(京都→神戸)

トラック組の綾香さん、湯浅さんは先発。乗用車を取りに僕は松本くんと共に地下へ向かう。

駐車場にてトラブル発生。車が変り、サイドブレーキの位置がわかならい、早く出てこいという催促の電話、そして、駐車券が無い……。お好み焼き屋で貰いそびれていたのだ。駐車場の管理人に頭を下げ、何とか再発行してもらい、回数券で駐車場を出る。舞台と言い、この日はトラブルが多い。かつて住んでいた場所を通る可能性もあったため、僕は関西圏の運転をしたかった。そのため、運転自体は張り切って運転していたが、今回は山側を通って目的地まで向かったっため、思い出の場所を通らず残念。雨が降り始めた。ワイパーとウインカーをたまに間違える(これは、自宅の車のワイパーとウインカーがレンタカーと逆についているために起こるのである)。暗い中、曲がり角の多い六甲の山道を進む。義経が鵯越を行ったひよどり台を過ぎ、ホテルに何度も電話して、入り口を開けてもらい、しあわせの村についた。……あやしい響きである。ロビーでは、赤いアロハを来た初老の男性が待っていた。駐車券を無料にしてもらう。僕と綾香さんは荷物を置いて、近くの駐車場に車を置くと暗い中を歩いて戻った。暗い中一人でいると心が落ち着く。部屋は三人部屋。玉寄、綾香、奥本という男性俳優三人の部屋だった。

ホテルに着いたのはなんと夜中の1時過ぎ。
明朝は8:20にロビーに集合。もちろん遠藤さんも一緒にこのハードスケジュールで動いている。

松本は泉さんと相部屋。バリアフリーな客室で、京都のホテルよりも広く快適。抵抗を感じる名前とは裏腹に(?)、本当にしあわせに泊まれるかもしれない。しかし、今日のスケジュールはすごかった。明朝も早いし、今後のことがちょっと不安になる。

遠藤さんのお体が心配。やはり、長い一日でお疲れの様だった。むりせず休めるところで休んで欲しいと思う。

明日に備え大急ぎで眠らなければならない。
大変な旅が始まった。

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