2026年7月にアヴィニョンへと渡航した横浜ボートシアターの渡航報告記事を連載しております。前回は羽田から北京経由でパリに着く直前までの経過を劇団員それぞれの視点で書きました。今回も前回のスタイルを踏襲し、パリ到着からアヴィニョン到着までの内容をお送りいたします。


北京国際空港〜ドゴール空港到着
今度の飛行機は羽田から乗ってきたものよりも大きい。
アジアからいよいよヨーロッパへ10時間のフライトだ。フライト中しっかり寝れるようにアイマスクと耳栓も用意した。北京までは悪くなかった。ペットボトルに水も入れた。
さあ、行こう。
と、飛行機へ乗り込む。今度は10時間なので、映画でもちょっと見ようかと思い画像をつけると、「オッペンハイマー」があった。それをちらりと見て、字幕で驚く「オッペンハイマー」は中国語で「奥本海黙」なのだ。
ああ、確かに、言われてみればそうか。それにしても、ここで「奥本」が出るか、僕も中国へ行ったら「オッペン」かと思った。フライト中、寝れるような寝れないような微妙な感じで過ごす。寝れてはいるのだが睡眠の質が低い。どうしたものか……。だが、ここで不十分でも睡眠がとれたことは大きかった。
北京時間の夜中の2時に北京を立って、パリのシャルル・ド・ゴール空港にパリ時間の朝6:45に着く。しかしその実は10時間の飛行。乗り込むと飲み物と軽食が出て、そして電気が消える。こんな体勢で寝られるものか不安になる。隣の松本くんを見るときちんとした姿勢を保ったまま堪えるように目をつぶっている。大丈夫かなぁと人の心配をしつつ、少し眠ったようでもあった。時間に逆らって西へ進む空は、ずっと暁の色だった。
苦痛ながら時間は過ぎるもので、朝食の時間となる。野菜も多く栄養バランスの良い機内食で、美味しい。
そうこうするうちに、シャルルドゴール空港に着いた。
空港着、右も左もわからないような状態でとにかく入国口へ向かう。

空港に着いて、透明なチューブのような通路が入り乱れる景色を見、白い漆喰を固めたような通路を「動く歩道」で抜けてゆく。ワクワクとか嬉しいという気持ちはなく、「ついに来てしまった」の一言に尽きる気分であった。
不安を抱いていたトイレは、空港においてはとてもきれい。給水所もあり安心。
うろうろとしていると空港の人が日本のパスポートを持っている人はこっちと案内をしてくれた。
入国の審査は緩い。中国とは比較にならない緩さだった。
荷物の受取場所へ……。なかなか、自分の荷物が回ってこないので不安になる。
その中で気付いたことは、ステッカーを貼ると自分の荷物がわかりやすいという事だ。なんで、あんなものを貼るんだろうと思っていたが、こういうところで一目でわかるのはすごく便利だ。旅行者の知恵だなと感心する。
仄暗いロビーを見渡すと、実に様々な文化圏・人種の人々がいる。通り過ぎるキャビンアテンダントは中東の人々だろうか、驚くほどの美女集団だ。人々の様子に興味津々だが、侮られないように気を引き締める。

比較的こじんまりとしたターミナルで入国手続きを済ませ、先乗りしている丹下さん、佐野さんとの待ち合わせ場所であり、アヴィニョン行きのTGV発着駅でもあるGare de Lyon駅への移動を開始する。
(リヨンはパリと全然違う場所にあるのになぜリヨン?と思ったが、行き先を駅名にすることがあるらしい。でも、現在はリヨン駅から色々な駅が終点のTGVがたくさん出ている)
バス〜メトロ〜リヨン駅到着
荷物を受け取り、さあ次は市内へというところなのだが……どこへ行けばいいのかわからない。先に入国している丹下さんからは、空港内は英語が使えるから、英語できけばよいとアドバイスをもらっていたので、インフォメーションへ行き、確認する。フランス語で挨拶をして、あんまり話せないから英語で教えてくれと言う。すると、ここから降りて、3番へいけと言う。3番……
後で気付いたのだが、第3ターミナルへ行けという事だったのかもしれない。しかし、その時はよくわからずとりあえず下へ降りて外へ出てバス停を探す。
暑い、少し頭が痛い。(今、思えば熱中症気味だったのかもしれない)松本くん、紗矢さんも体調がすぐれなさそうだ。
そこでわかったのは、ターミナル3へいく方が良いという事だった。そこで、ターミナル1からターミナル3へ無料電車に乗る。
まず別のターミナルに移るための専用電車に乗った。ベルが鳴り、思いがけずすぐ閉まる車両ドアに挟まれてしまった。なんとか乗れたが、日本の余裕を持った一連の開閉の呼吸とは全然違い、面食らう。
ターミナル3へ行くと、すぐにバス停が見つかる。空港から市内へいく手段は沢山あるが、今回は最終日の下見も兼ねることにした。バス351に乗りヴァンセンヌ方面で降りて、そこからMetroの1号線に乗って、Gare de Lyonへ行くルートを選んだ。
バスターミナルに着き、時刻表によればラッキーなことにバスは5分後に来る。しかし時間を過ぎてもバスは来ない。側にいた黒人男性が、私たちの行き先を尋ね、「このバス停で合っているよ」と教えてくれてホッとする。親切な方だ。
351は空港周辺から、パリ近郊、パリ市内の3区画をいくバスだ。バス停では親切っぽい人がいて、いろいろ話しかけてくる。僕は内心少し警戒していたのだが、結局はただ親切な人であった。
夕方のような気分だが今は早朝。定時を過ぎて待つこと25分。こんなに遅れることに驚き、けれどここでは当たり前なのかもしれないと思いつつ、バスに乗り込む。

バスは比較的バリアフリー仕様になっていて、スーツケースを運び入れる分には苦労しないが、三人で合計4個のスーツケースを運ぶとなると、身の置き所がかなり難しい。
バスは空港近くのエリア、中間のエリア、パリ市街地域の3エリアを結ぶもので、その三つのエリア以外はビューンと高速で通り過ぎる運行方式であった。
初めの区画は空港の敷地内及び周辺。見渡す限り整備された道また道。殺風景で車内はガラガラ。私たちは向かい合わせになっている優先席に座った。なぜなら荷物が入れやすかったからだ。

次の区画は住宅街。乗ってくるのは黒人の人々が多い。何人か入ってきたときに、私たちは優先席に座っているのはちょっとまずいかなと思ったが、まだ席もたくさん空いていたので動かずにいた。道は狭めで、商店や住宅の間を抜けてゆく。
足の悪い黒人男性が乗ってきた。私たちは動いたほうがいいかなと思ったが、空席も多く入り口付近も空いており、あまりにも荷物が重く、多いので動かず様子を伺っていた。通路を挟んだ私たちの横に男性が座っており、その向かいの席が空いていたので、足の悪い方はそこへ座ろうとした。しかし向かいの男性のスーツケースが邪魔だったので文句を言ってどかさせた。どかす羽目になった男性は不満そうに悪態を吐いた。着席した足の悪い男性は横の私たちを睨み、おそらく席を立つように言った。私たちはかなり揺れている車内でスーツケースを一個一個移動させて、少し時間がかかったが優先席を立ち、バスの中央部分の空いているスペースに荷物を寄せてそこにしがみついた。その後バス停では次々に人が乗ってきて、優先席にはお年寄りや子供たちが座る。私たちは言われる前に立てれば良かったし、そもそも座らなければ良かったのだが、成り行き上やむなし。揺れ動くスーツケース群にしがみつく私たちを気の毒そうに見つめ、隣の席に座るように言ってくれた白人のマダムもいたが、とても動けるような状態ではなかった。
パリ郊外は少しインドのようなワイルドな、乾燥して、褐色な感じがした。パリ近郊は「荒れている」とか「治安が悪い」とか言われるが、それもなんとなくわかるような気がした。
日本ではあまり見ない黒人系、イスラム系、アフリカ系やアラブ系の人たちもたくさんいる。
アジア系は一番少ない。日本から遠いんだということを実感する。ただし、道路脇に落書があるのは日本と変わらないなと安心もした。バスの中なのに日差しが強い。実際は、まだ午前10時にもなっていなかったのだが……。
パリ市内へ入ると、店が多くなる。おしゃれな感じだ。町並みも映像でみるあの“パリ”だ。少し違うのは、褐色が思ったよりも多かったということだ。
荷物の世話でかなりヘトヘトになった頃、ようやく目的のバス停に到着。そこからGare de Lyon駅に在来線で向かった。
さて、Porte de VancennesでMetro1号線に乗る。Metroのチケットは簡単に買えた。バスに乗った時につかったNavigo-Easyを使って購入する。
地下鉄では切符の代わりにNavigoというパリ版Suicaみたいなものを使う。これは完全にただの紙でできた不思議なカードである。調べたら、中に一応ICチップが入っているらしい(光に透かしてみたら、中に回路らしきものが見えた)が、こんなぐにゃぐにゃしたただの紙みたいな強度で何か頼りない気分になる。
ところが、チケットを買ったは良いが、入場が上手くできない。どうなっているのかと改札を管理している人のところへ行くと、お金は払われているから奥の扉から入ってよいよとのこと。よくわからないけど、とにかく入る。
事前に聞いていた通りエスカレーターやエレベーターはなく、奥本くんに協力してもらってスーツケースを地下へと運ぶ。今後、何度となく持ち運びを手伝ってくれた。この場を借りて、改めてありがとうございます。

さて、そんなこんなでバス、メトロを乗り継いでGare de Lyonへ到着した。ここで、先行している丹下さん、佐野さんと合流する約束になっている。駅の外壁は改修中のようで囲われている。ややなだらかな坂を上ると駅の入り口である。
入口の前で、ドクターペッパーのキャンペーンをやっているらしく、水分が欲しかった僕は遠慮なくそれを貰う。
紗矢さんと松本くんは貰わなかったのだが、僕には冷たい飲み物が必要であったため、2回ももらってしまった。(僕は、結構水を飲むのです)
私のスーツケースは古く、楽器や資料で重くなると車輪がスムースに滑らず、新品を買えば良かったと羽田空港の時点で後悔していた。リヨン駅の周辺は素敵だったように思う。古い街並み、早朝でまだ人のほとんどいない数々のカフェテラス。しかし寝不足で重い荷物を引きずり、街並みを楽しむ余裕はまったくなかった。
リヨン駅〜アヴィニョン駅
地下鉄の駅を出て、Gare de Lyon駅のコンコースに入る。
広場のようになっている空間の天井は半透明で、明るく開放感がある。しかし、その日の光と人混みのせいで快適とはとても言えない。想定していたよりもだいぶ早く駅に着いてしまい、駅の中でぼーっと立ったり、空いたベンチに座ったりしていた。

Gare de Lyon駅は巨大な構内に、縦に幾つもプラットフォームが並び、その手前の待合所は大変な混雑だった。天井が高く、トタン屋根は所々明かり取りのために透明になっている。自然光に照らし出される古びた鉄骨は埃と蜘蛛の巣だらけ。この味わい深い趣はまさに私たちがお世話になった鶴見の造船所だ。実によく似ている。
駅構内へ入る。待ち合わせ場所の下見をしたところ、疲れが出た。しばらく休むことにしたのだが、その選択が失敗であった。暑い。太陽光が入り、どんどん気温が高くなる。お店へ入らず、椅子に腰を掛けて休んでいるつもりにはなっているが、睡眠不足と熱にやられてしまっている。

それにしても駅構内は冷房は無く、人が密集して空気は動かず、ものすごく暑い。今ヨーロッパは熱波に襲われている最中でこれはかなり危険な感じがした。
まずはご飯を食べて元気を出そうということで、駅構内の小さなスーパーでバゲットのサンドイッチと豆サラダを買う。サラダは量が多いので三人で一つ。それで一人1800円くらい。やはり物価が高い。待合所でなんとか席を取って座って食べる。バゲットサンドも量が多く、二食分にしても良かったがとても美味しくて全部食べた。
交替でコンビニに入り、お昼を買う。サラダとパンだ。何とか食べたのだが、だるそうな様子になって来る。これはいけないと、あたりを回って涼しいところを探す。
見渡すと本当にあらゆる人種がいることに驚く。そして人種にかかわらず女性たちがみんな肌を露出している。中でも黒人女性の体型のセクシーさには本当に驚くばかりだ。痩せている方も太っている方も、これでもかと言わんばかりにその美しさを露出している。白人の年配女性だってみんな下着一枚のような形のサマードレスを着て、日焼けした健康的な肌を露出している。こういった光景にまず衝撃を受けた。
正午を回ると暑さは次第に不穏になり、このままコンコースに居続けると茹でガエルになってしまう予感がしたため、涼しそうな場所を求めてみんなで地下へ避難。
待ち合わせまでまだ2時間ぐらいある。本当はリヨンの街を見に出かけたいけれど、荷物をどこかに預けることもできず、ここで時間を潰すしかない。地下の回廊が少しは涼しいとの奥本くんの情報を頼りに、ここで暑さに耐え続けるのも危険と判断し、地下に行ってみることに。
確かに広々したその地下通路は少しは風が動いているようだった。私たちは何をするでもなく荷物を囲み、熱い空気のかすかな動きに祈るような気持ちで、ただ立っていた。「怪しいね」と自嘲しつつ。

コンコースよりは多少マシで、しばらくそこで暑さを凌いだが、座る場所がなくただ立ち尽くすのもいまいちだったため、再度良き場所を求めて移動。
下の階にあるトイレ前で涼んでいたがさすがに怪しすぎるということで、駅の構内を出て、例のドクターペッパーを配布しているところの向いにあるベンチに腰をかけた。
日陰もあるし、風が時折吹いてくる。こっちの方が断然涼しい。ほっと一息ついた。
そこは駅舎の日陰もあり風も通って比較的涼しく、広場の向こうには古い趣のある建物も多く見える。早くここに来れば良かった。
地べたに座って涼む若者、何かのキャンペーンで飲み物やボールペンを配る人、喫煙所で煙草を吸う人、怪しい目でジロジロと人の荷物を物色しているように見える男性もいた。私たちはまだ様子がわからないのでかなり緊張状態にあった。
結局外でも日陰のあるベンチが一番過ごしやすく、駅の前にあるベンチで丹下さんが来るまで時間を潰す。何かキャンペーンをやっているらしく、カゴを手に持っている人からボールペンを手渡される。見ると三菱鉛筆のuni ball eyeというやつで、ボールペンの本体に使われているプラスチックの75%がリサイクルで、そのうち10%が海洋プラスチック由来ということだった。
そして、しばらく休んでいると丹下さんから連絡が入る。待ち合わせ場所にもうすぐ到着するとのこと。待ち合わせ時間には少し早いが我々を心配して早く来てくれたのだ。構内にいるところを迎えにいき合流する。
やがてパリに先乗りしていた丹下さんが、半ズボンにキャップ姿で「お疲れ様」と涼しげな笑顔で現れた。私たちの疲弊を見越してか「これを持ってきたよ」と、みずみずしい桃を手渡してくださった。「洗ってきたから」と。それは平たくつぶれたような形をしており、味は日本の桃と同じだが、形ゆえ持ちやすく食べやすい。本当に美味しくて忘れられない味となった。海外旅行に慣れている丹下さんのお心遣いに感謝しかない。
合流するとすぐに丹下さんは「桃もってきたよ」と言って、紙袋の中からつぶれた形の果物を取り出して、渡してくれた。日本では見たことのない形の桃だ。中国の桃らしい。それをそのままかじりつく。甘い。そして、うまい。甘みと水分が染みわたる……。地獄に仏とはまさにこのことかという気持ち。
まもなく丹下さんと合流。フランスで一般的な、皮ごと食べられる平らな桃を持ってきてくださり、美味しくいただく。疲れていた心身に染み渡る味であった。
ベンチに座って話しているうちに佐野さんとの待ち合わせ時間に。
待ち合わせの時間まで涼み、いざ構内へ! TGVに乗ればきっと涼しくて快適なはず。だから、あの蒸し暑さは少しだけのことと思い、佐野さんとの合流を目指して移動した。
旦那さんがフランス人の佐野さんは、幼いお子さんと先に渡仏しており、お子さんをご両親に預けた後、私たちのツアーに合流する。蒸し風呂状態の駅構内に戻って、佐野さんと再会。ワンオペの幼児同行の渡航はかなり大変だったはずだが、いつも通り活力に満ち、お元気そうだ。

佐野さんとも間もなく合流し、いよいよTGVに乗ってアヴィニョンへと出発。
これで全員揃った。ほっとする。ここからがツアーの本番であるし、始まりでもある。本当ならばわくわくするシチュエーションなのだろうが、そんな余裕もないくらい疲れている。
我々が乗るTGVの案内はまだ掲示板に出ていない。まだ、この暑いリヨン駅で待たなくてはならないのだ。トイレへ行ったり、タオルを濡らしたりして、なんとか暑さ対策をする。
TGVには荷物制限があるらしい(チケットにはそのように書いてあった)が、それが不安だった。佐野さんは大丈夫だとはいうのだが、日本人の性なのかオフィシャルに書いてある情報が気になる。

TGVへ乗る。これで涼しいところへ行ける。しっかりと寝れると思った。が、冷房が効いていない。なんてこった……。暑さからは逃げられなかった。
乗車した時、スーツケースの置き場がすでに埋まっていて大焦ったが、フランス人女性の方が仕切って荷物を整理してくださり、なんとかなった。
隣のボックスにいるフランス人女性が荷物をあけてくれる。パワフル! そして、親切だ。フランス人は自分が想像していたよりも親切であることに気付く。

ここからおよそ3時間、寝れたら良いが外の景色も観たいし……。と思ったが、どうもカーテンを閉めなくてはならないらしく、外の風景は見られなかった。農地が広がっていることだけはわかった。
車内にはごくうっすら冷房が入っている。ボックス席に座り、テーブルに飲み物や菓子を置いてお喋りをするうち、窓の外は田園風景に。しかしブラインドを下さなければいけないとフランス人に注意されガッカリする。
やっぱり暑い。お菓子をつまみ、塩分を補給しながら待ったりするが暑い。食堂車へ行き飲み物を買う。高いなぁ。
隣のテーブルの年配の女性が「この匂いはどこから?」といった感じで鼻をクンクンさせ、通路を振り返ったりしている。私は自分たちが食べているこの小さな煎餅あられの匂いではと内心思った。そして喋っているのもつかの間、私たちはあまりの眠気に意識を失った。そして気づくともう到着駅間近だった。こんなにも全身麻酔のように時間が飛ぶというのは驚きであった。

車内では気絶するように寝たり起きたりを繰り返し、移動時の記憶はほとんどない。ふと目を覚ますと、もう周囲は畑だらけのようだったことをぼんやり覚えている。
アヴィニョンTGV駅に到着。ここからローカル線でアヴィニョン駅に移動。この間はあっという間。
アビニョンTGVから在来線に乗る。なんと、在来線には冷房がある! 普通逆じゃないかと皆で言い合いながらも、表情は柔らかい。だって、涼しいのだもの。
アヴィニョンTGV駅〜宿
そして、アヴィニョンセントラル駅でClaudeさんと再会する。駅で待っていてくれたのだ。Claudeさんは仮面作家協会のイベントで展示を行うということですでにアビニョンに入っていたのだ。準備をした後で我々を迎えに来てくれたのだ。懐かしい。

駅ではクロードさんが出迎えてくださった。13ヶ月ぶりの再会、今度はクロードさんの国で会っているのだという感慨。今回、私たちの日程に合わせたアビニョン滞在日程にしてくださっている。ありがたくも心強い限りだ。
駅のコンコースで、すでにいらしていたクロードさんと再会。疲れているからということもあり、クロードさんとは明日以降また話すこととして、再会の喜びもそこそこに駅を出る。
アビニョンセントラルの駅を出ると、日差しがまぶしい! 皆はサングラスをかけている。僕もサングラスをかける。メガネの上から眼鏡onサングラスだ。

アビニョンの城壁前でみんなで記念撮影をすると、クロードさんは演劇祭が行われている城壁の中へ戻られた。
ようやくついたアビニョンは白い地面と白い壁の街だった。白い城壁が異国に来たことを否応なく実感させる。暑い。暑いけれども、今度はわくわくする。
聞いていた通り日差しは暑く、白っぽい壁や建物に反射する日光がすこぶる眩しい。バスで街外れの駐車場へと移動し、そこから少し歩くとシナゴーグ通りという道に出る。そこから少し入ったところにある、棟続きの二階建ての家が今回の宿泊場所であった。

今日から4泊する宿は、自炊して暮らせる一戸建ての貸切宿泊施設だ。
道端の犬の糞には気を付けながら、宿に着いた。ほっとした。なかなか綺麗な宿であった。
中に入ってみると思ったよりひんやりと涼しい。
宿は3部屋あり、1階のベッド付きリビングを丹下さん、2階のシングルベット二つの部屋を奥本くんと松本くん、ダブルベッドの部屋を佐野さんと私の部屋とした。1階と2階それぞれにトイレとシャワールームと広々したテラスが付いている。キッチンも充実。空調は無いが、湿気が少ないので家の中は風を通せば凌げる環境だ。
部屋割りが決まって、買い物に行く前に一休みをしようとベッドに横になると、『凹!!』頭を載せたところがへこんだ。どういうことだ???なんか、やったのかなぁと思いながらも気にせずゴロゴロと体を休める。しばらくごろごろしていると、ベッドが沈んだ。ベッドは手前奥と二つのベッドがくっついていたのだが、奥が沈んだのだ。どうしたんだ???原因を探ろうとベッドを見てみると……なんと、足が無い。”「”のようになっていて、奥のベッドが手前のベッドに重なっているだけで、足が無いのだ。こりゃダメだ。ということで、奥のベッドの上に置いてあった布団を床に敷くことにした。
その後、皆で買い出し。アビニョン市内へ入る。城壁の中に入る瞬間はワクワクする。
荷物を軽くアンパックし、丹下さんの提案でアヴィニョン城壁内のスーパーに買い物へ。

日本ではすでに暗くなっている時間だが、まだこっちでは薄暗い程度だ。

城壁の手前には演劇祭で上演する作品のポスターが大量に貼られている掲示板のような場所があり、祭りの活気が伝わってくる。門を潜ると、街ごと文化遺産のような建築群が待ち構えていた。そんな中で、至る所に舞台のポスターが貼られており、下北沢あたりのライブハウスの壁がずっと続いているかのようでもある。見慣れない光景を眺めたり、写真を撮りながら歩みを進めると、目当てのスーパーに到着。
スーパーで買い物をする。サンダルも購入した。室内履き代わりのサンダルだ。
五人分の食料を買い込んで帰宅。丹下さんに早速料理をしていただいた。
私と佐野さんが泊まる部屋の窓が開かない。窓の向こうには気持ち良さそうなテラスがあるのに。窓には鍵が挿さっているが、その鍵をいくら回しても全く動かない。これは間違えた鍵を挿していったに違いないということで、佐野さんが宿のオーナーに連絡を入れる。なかなか返事が来ず悲観的になっていると、オーナーから、「窓に鍵なんかかけていないよ」と連絡が入る。佐野さんが窓を力いっぱい押してみると、なんと開いた。使えない鍵なら挿しておくべきではない。鍵が挿さっていたら無理矢理押してみる訳がない。ともあれ窓が開いて本当にホッとした。(それも束の間、ついさっきまで動いていた天井の扇風機が動かなくなる。ガッカリしたが、窓が開いたならなんとかなる!)
そうこうしているうちに丹下さんが「ご飯だよ」と呼んでくれる。なんと丹下さんはとっても料理上手な上に、多人数分料理することを一切苦にしない方で、私たちが荷物を開けたりシャワーを浴びたり、窓と格闘したりしている間にもご飯を用意していてくれたのだ。これから4日間、私たちはありがたくも丹下シェフに命を育まれることになる。

この日の夜、丹下さんがご飯を作ってくれた。この後も、アビニョン滞在中は丹下さんが作ってくれるご飯に助けられる。
涼しい格好をして食卓に集まる。丹下さんが冷やしてくれた冷たいお茶、フランスのバケットやサラダなど、何を食べたか細かく記録していなかった事が悔やまれるが、おいしいものをたくさん食べて、あとは寝るだけという幸せ。その夜は皆早く床に着いて、よく眠れた事は言うまでもない。明日はさっそく仮面作家協会に出向いて、現地の俳優さんと仮面を使った交流を行うのだ。
