コラム――演劇と武術の関係性 第二回

<第二回 身体表現の構成要素>okumoto3
さて、前回は導入ということで、これからどのようなことについて述べていくかを書きました。
今回もその続きから入ります。あれから、“演劇と武術”ということでインターネット上を探してみました。
現代武術で有名な人もそのことに触れていましたのでご紹介します。

まずは、甲野善紀先生です。

http://www.spac.or.jp/09_spring/twoladies.html

静岡芸術劇場の宮城さんが演出する舞台についてコラムを載せていらっしゃいます。
宮城さんは劇団の遠藤さんとも交流があり、私は学生時代から宮城さんの演出する作品を観ていました。また、吉岡さんに紹介され甲野善紀先生のワークショップへ一度参加したことがあります。そのような事情もあり、甲野先生が何を書かれているか、非常に興味がありました。
このコラムにおいて、甲野先生は自身と宮城さんの交流や宮本武蔵の言葉から感じた、
武術と演劇の関連について軽くふれてらっしゃいます。
ですが、ここでは演劇と武術の関係として纏まった文章は書かれていませんでした。
私の興味とこのコラムの趣旨が違うということでしょう。

もう一つは葛城奈海さんのコラムです。
ワルシャワ演劇大学の学生に武術を教えているという記事があったので紹介します。

http://www.meijijingu.or.jp/shiseikan/kiko/6.html

ここでは、ポーランドの学生たちが、腹を意識したことで自分のトラブルを解決する糸口を見つけたということが、
書いてありました。リラックスすること、丹田の意識、集中することが演劇に役立つと書いています。
もちろん、そう思います。
しかし、記事自体はかなり武術よりです。タイトルも“ポーランドで感じた武道の底力”です。
力で人と争うということが極端に少なくなった現代日本社会において、武術への共感は著しく低下している。
その中で、武術は様々なジャンルで役に立つよということを伝えることが狙いの文章に思えます。
ですので、これも私の興味からはちょっとずれています。

さて、私の興味は上記のコラムよりも、もっと細かいことにあります(良し悪しでなく、細かいことです)。

もっと細かいレベルで武術が演劇にどのようなことを与えてくれるのか? また、演劇は武術のどういった要素を活用できるのか(特に初学者の演技訓練というレベルにおいて)? これらが知りたいのです。それも何となく役立つというレベルではなく、演劇をやっていない人に話してわかってもらえるレベルではっきりと知りたい、自分の言葉で説明できるようにしたいのです。

しかも、武術の型が振付に役立つとか、アクションに良いとかそういう直接的でわかり易いところでもありません。
逆に、気功や丹田のようにあまりに東洋的で、現代人から離れているところでもなく、より現代的で言葉にできるようにしたいのです。
当然ながら、わかり易く直接的に役立つことを私は否定しません。
そして、気功や丹田のように東洋的な観方に対しても肯定的です。
東洋的な観方は、非常に魅力的です。
ですが、魅力的であるがゆえにファンタジーのように捉えてしまう方もいます。
武術において、ファンタジーはありません。“演技をする”ことも私は非常に具体的なことだと考えています。

だから、分析的に考えて述べて行きたいと思います。
勿論、私はまだ若輩で武術についても、演技についてもわからないことは多く、実践できていない点は沢山あります。
ですから、私はこのコラムを通じて、ある種の問題提起が出来ればよいと思っております。

それでは、これから武術が身体表現に役立つことを検証していくわけですが、そのためにまず身体表現について、少し掘り下げていきましょう。言葉の定義やイメージの共有を図りたいと思います。

身体表現というとどのようなことが思い浮かぶでしょうか?
ダンスやパントマイム、身振り手振り、所作、体を使ってキャラクターを演じ分けること、特殊な体の使い方……その他にも色々とあると思います。恐らくそれらの全てが身体表現の範囲に入るでしょう。
特殊なことではなく、身体を使って何かを伝えようとすること、表すこと、それら全てをここでは“身体表現”と表記します。

この様にかなり広い範囲をさす“身体表現”ですが、そのどれにも共通する要素が三つあると私は考えています。
三つの要素とは、“運動能力”、“表現の様式”、“身体感覚”です。それぞれについてもう少し詳しく見ていきましょう。

“運動能力”は非常にわかり易いものです。
筋力や柔軟性、体力と言った運動をするために必要なものです。肺活量などもここに含まれます。これについては特に詳しい説明はいらないと思います。運動能力が高ければ、身体表現で出来る範囲も広がります。運動能力を高めれば、身体表現のポテンシャルも高まるということです。

続いて“表現の様式”。
どのような形態をとれば、どのような印象を与えることが出来るのかと言ったより技術的な部分のことを表現の様式と表記しています。伝統芸能の型、ルコック国際演劇学校のシステムで言えば、五大要素を使った訓練などがそれです。ダンスの振付もこちらの要素が強いと思います。どうやったら自分が表現したいことを表現することが出来るのか、それを知ることは基本であり、また非常に大切な部分です。
うまい言葉がみつからず、ここでは便宜的に“表現の様式”と書きました。

最後が“身体感覚”です。
これは、中々わかりにくいかもしれません。今、体のどこをどのように動かしているのかを自分で意識出来ること、体の中の様子をイメージできること、各筋肉を意識的に動かせること、骨盤の位置を把握したり、重心の置きかた、力みを把握できることを言います。非常に感覚的な部分です。かといって、抽象的なことではありません。体をより具体的に操作可能にすることを身体感覚と表記しています。おおざっぱに言えば、体がどうなっているのかわかることその精度が身体感覚です。

ただし、ここにあげた三つの要素、“運動能力”“表現の様式”“身体感覚”はそれ単体で表現を生み出すものではありません。

つまり、どれかを底上げすれば自動的に身体表現が良くなるというものではないということです。
これらと作品や演出、振付が有機的に結びついた時に面白い表現になると私は考えています。
ですから、運動能力が高くてもそれを表現の様式や身体感覚に(あるレベルで)結びつけず動いてもそれでは面白い表現にはならないということです。逆に表現の様式については、アイディアがあっても運動能力や身体感覚が低くてはそれを実現できません。例えば、中腰でする様式を身に付けていても、一時間それをキープするためには足腰の力が必要ですし、体に無理な負担がかかっていないか、様式が崩れていないかを知る感覚が不可欠です。この様に三者は互いに補う関係にあります。

今回は身体表現を構成する要素について考えを述べました。
あくまでこれは、一般的な理論ではなく私が考えたものです。
次回は、武術について書いていきます。

 

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奥本聡
1987年広島生まれで、幼少期を兵庫県芦屋市で過ごす。横浜緑ヶ丘高校を経て、慶應義塾大学を卒業。大学在籍中より横浜ボートシアターの活動に参加。戴氏心意拳や日本武術、田楽研究などの学習を通じ、アジア的な身体とは何かを探求している。