『日本間で聴く樋口一葉・芥川龍之介』稽古日誌第4回です。
今回は音楽担当の松本が書いています。
稽古本編だけでなく、脱線話も勇気を出して(?)掲載!
藪の中
色んな可能性を探りながら稽古を重ねてきましたが、先週・今週で方向性がはっきりしてきました。
とにかくテキストをしっかり分からせるよう努力することがまず第一。
その上で、可能な限り七人それぞれの色を出していく。
そういった基本事項について再確認しつつ、音楽をどこにつけるべきかといったことにも話が及ぶようになり、
次第に作品づくりのペースが上がってきているように感じられます。
さらには最後の方で新たな演出が加わったのですが、それが案外に面白い!
にごりえ
先週と同じく、通しながら音楽が入る場所の確認を再び行ったり、
音楽や語りに対して細かいダメ出しが行われました。
前回よりも音楽に対する指示が増えましたが、そういった共同作業は非常に楽しく、
やりがいを感じます。また、音楽だけでなく、
語りについても要所でかなり細かい指示が入っていました。
例えば、台詞と地語りの境目にある中間的な言葉の扱い。
これは「〜と言う」的な文章が殊更多い樋口一葉作品を語る上では避けて通れないポイントでしょう。
ちょっとしたことではあるのですが、
そういった細部まで気を配ることによって次第に完成形に近づいていく様子は、職種が違えど勉強になります。
余談
ボートシアターの演劇観
今日の稽古では少し話が脱線して、ボートシアターの演劇に対する考え方にも改めて確認することができました。
それは、舞台に関わる者すべてが駒となって、
作品の世界観を舞台上に出現させるべきであるというものです
(役者だけじゃない!演出家も含めて作品に関わる者全てです!これがすごく重要!)。
役者、演出家をはじめとしたスタッフ全員が世界観を実現するための駒だという演劇観は、
ボートシアターにとってかなり根本的なことだと思われます。
(※世界観の提示や舵取りは演出家に任されており、この仕事を行う人の判断がとても重要なものになることは言うまでもありません)
語りについて
今週は全体的に、いつもよりもさらに語りというものをじっくりと聴き
、語りの楽しみ方や語りの不思議さについて考えながら稽古の時間を過ごしました。
そこで感じたことをふまえ、稽古後遠藤さんと語りについて色々とお話させていただき、
非常に面白いことを聞くことができました。
語りを聴いて想像するという行為について、語りにおける地の文の重要性、
叙事詩(近代以前)と叙情詩(近代以降)の違いとボートシアターのスタンスなど、
ぜひとも皆様に知っていただきたいことばかり!
そういったテーマについてウェブサイト上などに特集を載せていければいいんじゃないかと強く思うので、
今後ボートの皆さんと企画を練っていきたいな〜と考えているところです。
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