吉岡紗矢の 〜演劇で見る世界〜 1

樋口一葉の「にごりえ」の語り公演を始めて二年近くなる。

その物語の登場人物、銘酒屋に勤める女・お力の描写の中に、これ見よがしに色白の胸元をはだけて、着物で立て膝、煙草すぱすぱという場面がある。また、銘酒屋の前を通りかかった客に対してお力が「これ石川さん、村岡さん。お力の店をお忘れなされたか」と声をかけると、客が「いや、あいかわらず豪傑の声掛かり。素通りもなるまい」と答え、ずっと店に入ってくるという場面がある。

そんな描写をされるお力の役作りに何か進化をもたらしそうな体験をした。

夜の大森の町角には、場所によって客引きの女性たちが立っている。その夜も例の通り、一ヶ所に三人くらい立っていた。皆夜のお勤めらしい胸元の大きく開いた派手なドレスを着ている。顔立ちからすると、外国から働きに来ている人たちのようだ。その中の一人が、一瞬目にしただけだが、強烈な魅力を放っていた。路傍の一段高くなった所で光る店の看板の後ろに立ち、看板に肘をもたせかけ通りを見下ろしている。女王のような堂々たる様、腕をあげて煙草すぱすぱ、そして自信に満ちた表情で一帯を見渡している。様々な序列の中でしのぎを削りあくせくする男性たち、女性に嫌厭されがちな爽やかさの対極を行くようなおじさんたちをも「可愛いね。服を脱いだら皆んな同じだよ」と言わんばかりの怖いほどの余裕を見せていた…ように見えた。

私はそのすぐ脇を、足を止めることもジロジロと見ることもせず通り過ぎたが、内心「すごい!お力だ!」と思って興奮していた。私が今まで想像していたお力よりはるかに強烈だったが、そして年齢もお力の方が若いが、昔の人の方が早熟だったことを思えば、もしかしたらあんな尋常でない魅力を放つ面がお力にもあったのではないか。私は歩きながら今見た女性の佇まいをこっそり真似てみた。あのすっくとした余裕の姿勢、辺りのものを見る少しだけ下目遣いの目線。そして「ああ、こんなおじさんも可愛く見えるのかなぁ。可愛く見ようと思えば見えるかも」などと思いつつ、すれ違うおじさんなどを眺めたり。う〜ん別世界だ、と思った。

お力と重なったその女性のイメージが頭から離れず、それから数日、しばしば町を歩く時にあの佇まいを真似してみた。その最中に気づいたことの一つは、以前本で読んだ「商売女」に対する「地女(堅気の女)」と言われる女性がいかに多いかということ、当たり前のようですが…。地女に共通するありがちな姿勢や目線に気づいた。少し前のめり気味にせかせか歩く。目線は少し上目遣いで、周囲をほとんど見ていない。それらは何か生活のことなどで頭がいっぱいという印象を私に与えた。そういう体勢でいる女性があまりに多く、特徴がほぼ共通していることに本当に驚いた。今までそれを特徴として認識したことはなかった。

この発見は役作りにとどまらず、「真似る」ことの意味を思わせた。

人間の「真似る」という行為は、役者業、さらには「演じる」にも先立って人間が本能的にしたがる面白いことの一つなんだろう。

相手の姿勢や目線、物腰、呼吸を真似して「なりきって」みることで、今まで自分の目が当たり前と見ていた世界が別世界に見えてくる。そもそも幼少の頃からいろいろな人や動物の「真似」をミックスして自分というものを形作ってきたに違いはないだろう。けれど大人になって習慣、体の使い方、考え方が硬直してくる年頃になったら、意識して体レベルで他人を真似て見ることは面白いことかもしれない。難しいことを考えず「なりきって」みる、そんな遊びも悪くないと思う。

もちろん他人を解りきることはできないけれど、他人を理解しようとする上で真似てみると何かの発見があるかもしれない。表現においてはその時生じる誤解から面白い表現が生まれることがあるとも思っている。

吉岡紗矢