『恋に狂ひて』2015年ツアー記録 6月30日(火) 松山シアターねこ初日

6月30日(火) 松山シアターねこ初日

執筆者の文字色:吉岡 奥本 松本


トラック組と乗用車組に分かれて、劇場へ向かう。トラック組は綾香さんと玉寄さん、乗用車組は松本くんと僕、東横インまで歩きそこから乗用車に乗り込む。竹内さんは劇場の人との打ち合わせもあるため、タクシーで先発。少し早めに東横インへ着くと、コーヒーを飲む。竹内さんから頼まれていたので、フロントに松山空港までのリムジンタクシーのことを聞くが宿泊客でないと利用できないと言われた。乗用車で数分。ロープウェイ通りを過ぎ、城山のふもとにシアターねこはあった。入口のアーチにはオレンジ色の花が咲き、我々を歓迎しているようだった。

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この劇場は搬入口が狭いので、特に注意して搬入することになった。距離は少しあるが、京都ほどではない。これで6回目の搬入。流石に慣れた。螺旋階段を上って二回の待機室にまず運び込む。劇場の方では、照明の作業を先にしていた。シアターねこの天井には何か灰色の綿のようなものがあり、天井をいじるとぱらぱらと落ちてくる。これにはだいぶ苦労することになった。ポロポロと落ちるし、少し傷になっているところにつくとその周りが赤く腫れた。痛みは無いけれど、赤く腫れるというのが気に食わなかった。後で聞いたのだが、防音のためにしたことだそうだ。

パンチカーペットを敷くところから始まり、金床、金パネルといつもの工程。パンチカーペットはスリヨンという商標の両面テープを使って張るのだが、スリヨンがどんどん無くなっていく様子を見ると、なんだか胸が痛くなった。別にスリヨンに愛着があるわけではない。ただ、消えてゆくスリヨンが金銭のように僕には思えて(メートル単位でいくらくらいというのがなんとなく頭に浮かんでしまったのだ)、それから“楽しいツアーも終わりだぞ”と無造作に投げ出されたテープの芯が言っているように思えたのだ。
シアターねこは天井が低く、金パネルを建てるのには神経を使った。スピーカーや灯体にぶつけない様に、斜めにしながら今までよりもテクニカルに立てていく。滝の設置もまた天井の灰色の綿との戦いであった。頭には岡山で貰った手ぬぐいを巻き、それからシアターねこの鈴木さんから頂戴したマスクをつけ、手袋完備で我々は作業をしていた。床に落ちた綿は掃除機とコロコロ(というのが正しいかわからないが、カーペットを掃除する両面テープのようなもの)できっちりと取った。

手拭いやタオル、マスクを装着した天井の綿除け姿も人それぞれ。吉岡は劇場付きの掃除のおばさん、春菜さんはどこか洋風な道化、柿澤さんは鼻の前に突起の付いた妖怪みたいな出で立ち。互いに大笑いしながら作業をする。

 休憩をはさみ場当たりをする。
休憩中に松山に住む親族が差し入れをくれた。松山市内に住んでいるのだけれど、空港の方であり、また高齢でもあるから、夜中に来るのは大変で舞台は観れないけど、せめて差し入れだけとのことだった。ありがたい。お昼は鳥の空揚げ。とても大きなサイズで、5つ700円だという。5つ食べれば十分にお腹が膨れる大きさであり、充実した心持になる。

場当たり中に、パンチを前面に一枚貼ることにする。演技エリアに広がりが出て、やりやすくなった。おそらく見ている方もこちらの方が広々として良いだろう。声が響かない。どんどん、吸われてしまう。徳島が凄く響く場所であっただけに、戸惑いがある。響かないと言っても怒鳴ることだけはしない様気を付ける。こういうところでは得てして声を張りすぎてしまうものだ。自信を持って、丁寧に持っていくことにする。

この日は会場の響きが凄まじくデッドに感じられた。録音スタジオみたいである。そこまで音がデッドだと、今まで気づかなかったところが気になってしまう。一番の問題は桶太鼓であった。いつものように叩くとバスケットボールでドリブルしているようにしか聴こえない。これはまずい、と思い、思案の末この日は桶太鼓の使用を控える方針で演奏することにした(これが表現的には裏目に出たと思う)。逆に、ジャンベは相当効いていて、ちょっと大きく叩くと文字通り客席が振動していた。舞台の反対側の端に位置する政大夫さんにまでその影響は及んでいるらしく、少々やりづらそうだった。

客席で聞いている遠藤さん曰く「劇場(客席)の上の方に向かって声を出すと響きがなくとても頼りなくなる」政大夫さん曰く「ならば床方向に声をぶつけて響かせるといいですよ」。やってみるとだいぶ違う。新しい場に即座に対応できる様々な知恵を持っていらっしゃる。さすがだなと思う。

演出助手はこのツアーについていないので、俳優が場当たりする場所を決める。前回は紗矢さんがやっていたが、今回は僕がやった。場当たりするシーンが少ないためだ。場当たりが終わった時、思ったよりも時間が迫っていた。劇場の構造上、開場時間を早めることになる。また、この日はツアー中では珍しい雨の日だった。それも結構な降り方だ。開場は18:15と決まる。楽屋は男性、女性が分かれておらず、兼用の楽屋。声が外に漏れやすいので、ひそひそと話をするも盛り上がってくると外に聞こえてしまう。扉のすぐそばには説経節政大夫さんと松本くん、泉さんそして、僕、その奥の鏡前に女性陣と綾香さんがいた。

パンチ面を増やした作業で時間が押し、落ちた天井綿は幾度も掃除しなければならず、歌稽古もギリギリまである。開場前、支度の途中で楽屋を移動しなければならないなどもあり、出演者の間にナーバスな空気が漂う。とにかく集中を高めやるだけの事をやらねばと腹を括る。

この日は体が熱く、楽屋で待機しているときからすでに舞台モードになっていた。このままでは、テンションが上がりすぎて何をやっているかわからなくなるなと思い、楽屋では完全にだらけていた。それはさぼっているわけではなく、体のコンディションを調節するため無駄な体力を使わないために考えたことである。ネコ科の肉食動物が午後の強い日差しを避け木陰で休んでいるときの様なイメージ。ただ、はたから見ると少しぎょっとするようだ。扉の真ん前でごろりとしているからなおさらだ。鏡前の女性陣と綾香さんも盛り上がっていた。春菜さんと綾香さんの妙なやりとり。玉寄さんは一人早く舞台袖に待機している。

前回はツアー中で一番大きなホール、今回は一番小さな劇場。一度広々のびのびとしてしまった感覚を、天井も低く響きの少ないこの空間にフィットさせる難しさはあったものの、遠藤さん曰く出来は悪くなかったとのこと。船劇場を少し小さくしたような空間で、収まりがいいようだ。個人的にはやはりどんなことがあっても本番前にナーバスになってはいけないと深く反省。

舞台はまずまずの出来だったと思うが、良く覚えていない。滝を振り下ろす時に少しミスをしてまい、天井の綿が落ちたり、衣装が少し見えてしまった。

演奏面ではかなり不完全燃焼。この公演は一番後悔している。桶太鼓をどうにかして使用できるよう色々手を尽くすべきだった。悔しくなって終演後、早速細工をする。本番前バタバタしていたせいもあり判断を誤ったが、終演後じっくり考えると、要は倍音の問題だろうと見当をつけ、養生テープでミュートをしまくることに。かなりたくさんテープを貼って、ようやくある程度納得が行くくらいに倍音を抑えることができた。この作業と前後して、泉さんと打ち合わせを行う。色々と踏み込んで意見を交換するのは、実はこの時が初めてであったように思う。

帰り際、靴を貸してもらう。雪駄で劇場まで来ていたのだが、鼻緒が切れると危ないのでということだった。親切に貸してくださった劇場に感謝。そして、自分ももう少し考えなくてはいけないと思った。

ホテルに直帰する組と温泉へ行く組に分かれる。見に来てくれたかつての仲間でダンサーの木室陽一さんから、食事に誘われていたが、少し疲れていたので、いかないことにする。遠藤さんは夕食を食べていないということで、一人大街道で車を降り食事。

遠藤さんは板場のカウンターと小部屋が直結した変わった店で、板前さんとお喋りしながら日本料理を食べたとか。

綾香くんは終演後大急ぎで劇場近くの温泉に行った。けれど帰りは雨に濡れてしまったらしい。

女性陣は温泉へ男性陣は直帰だった。

雨の中柿澤、泉、春菜、吉岡を乗せ、朋さんが道後温泉まで車を走らせてくれるが、時間が遅く閉まっていた。深夜まで開いている温泉を柿澤さんが調べて、だいぶ離れていたがどうしても温泉に入りたい女子の要望に応えて、朋さんは20分以上車を走らせて、空港近くのさや温泉という所に連れて行ってくれた。「女優陣に捧げてますから」と大サービスの朋さん。「お父さんみたい!でも旅先でこんなにいいお父さんをやってしまって、おうちでは大丈夫かな」と春菜さん。温泉は湯の質もよく、気の利いたお風呂がいろいろあり素晴らしかった!「みんなも来ればよかったのにね〜」あまりにいいので、一回脱衣所に上がって来たはずの柿澤さんはまた入っている。大満足で、更にどこかでラーメンを食べようと盛り上がり、結局ホテル近くの商店街にある豚骨ラーメン店に入った。柿澤さんのラーメン好きが発覚。細い体で三玉食べる時もあるとか。慣れた感じで替え玉を注文する様子に関心する春菜さん。ホテルに帰ったのは2時近かったと思うが、楽しい温泉とラーメンで疲れは吹っ飛んだ。朋さんに感謝です。

悲しいことに、その日は劇場に鍵を忘れてしまい、ホテルの人に開けてもらう。このホテル。昼間は人が居ないからフロントに鍵を預けないでくれということで、鍵を持って出たのだが、おいてきてしまうとは疲れているのだなと思う。

翌日は半日お休みだ。少し観光出来たらと思う。

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