『恋に狂ひて』2015年ツアー記録 7月2日(木)松山〜横浜 移動・帰宅日

7月2日(木)松山〜横浜 移動・帰宅日

執筆者の文字色:吉岡 奥本 松本


8:30にロビー集合。春菜さんは一足先に飛行機で帰宅するために出発している。竹内さんはもっと早く、5時くらいに出たとか。飛行機で帰り、一日置いてまた別のツアーへ出発するそうです。

綾香さんはトラックを取りに一足早く出発。朝食は簡単に済ませる。玉寄さんと一緒のタイミングだったと思う。松本くんが心配になり、自分の荷物を取りに行くときに部屋を尋ねる。ちゃんと起きていた。良かった。ホテルをチェックアウトし領収書をもらう。

遠藤さんは政大夫さんと11:50の飛行機で帰るのでゆっくりだが、ロビーにお見送りに来てくれた。また柿澤さん、泉くんも帰りは高知に寄ってクジラを見て帰るとのことで、やはりゆっくりだがお見送りに出て来てくれた。細やかな心遣いとユーモアをもってツアー全体の舵取りをしてくれた朋さんが少し寝坊をして降りてくるのが遅れた隙に、湯浅さんが朝食バイキングのカレーを盛って来て食べていた。あのマイペース具合は尊敬に値する。トラックは綾香くんと奥本くん。

長距離の移動なので、やはり枕を装備する。まず、眠たくならないようにすることを心がける。目的地を設定すると移動時間が出てくる。10時間ちょっと。休憩を入れれば、12時間。到着は20時過ぎになるだろう。ルートは鳴門から淡路島、明石へと抜ける道。今回も徳島道を通る。綾香さんも僕も徳島道の狭さがあまり好きではなく。お互いに「徳島道はちょっと嫌だね」と話していた。

バンの人数はだいぶ減って、朋さん、湯浅さん、玉寄さん、松本くん、吉岡の5人。後部座席はのびのびと足を伸ばせる席に各自座りました。朝ご飯を食べていない人がいたので、10時くらいに「徳島ラーメンを食べよう!」とサービスエリアに立ち寄る。徳島ラーメンはなかったので、蕎麦を食べる。

吉野川SAでは、うどんを食べた。僕は朝食を食べたのだけれど、ここでうどんとご飯を食べた。美味しかったので、あっという間になくなった。松山のご飯は美味しい。徳島のうどんもやはり美味しかった。ここで、お土産をいくつか購入する。出発する。途中、牛が車で運ばれている光景を見てドナドナを歌った。

お昼過ぎ、見晴らしのいい別のサービスエリアでお昼休憩。

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淡路島のサービスエリア。下りには観覧車があるのだが上りにはない。実は、ちょっと前から観覧車に乗りたくて仕方がなかったので、乗れずに残念。どこかで、リベンジをしたい。ここから運転を交代する。ここからは関西だ。実は、トラックに乗った時から、綾香さんに関西方面は是非運転させてほしいと頼んでいたのだが、それが実現したわけだ。

何故、運転したかったのかと言えば、単純でかつて自分が住んでいた芦屋の上を通るからである。おそらく、ほんの3~4分の時間だろう。でも、どうしても運転したくて仕方がなかったのだ。淡路島を抜けると、垂水ジャンクションから三宮・大阪方面へ進む。慣れないトラックの運転に少しびくつきながらもスムーズに運転。説経節政大夫さんから教わった運転の心得も忘れずスムーズに進む。分岐を過ぎたあたりで、綾香さんは睡眠に入る。これから、長距離を運転しなくてはならない身だ。ゆっくりと休んでもらいたい。阪神高速は高速と名前がついている割にスピードが出せない。やはり、都市部で車の量が多いことや出入り口が多いからだろう。しばらく、行くと神戸公演の会場となったKAVC付近を通り過ぎ、それから三宮を過ぎた。どんどん、芦屋に近付いていくが見えた。僕はもう一人でテンションが上がった。かつて自分が住んでいた建物を見つけると、「あれが僕の住んでたところなんですよ」と一人ではしゃいでいた。綾香さんは寝ていた。僕は芦屋を通り過ぎるまで一人ではしゃぎ続けて、そして通ってからは無言だった。あー、これから京都へ行くのか。京都ねぇ。という感じ。京都市内に入る頃、綾香さんは起きて。「小噺をしようか?」と提案してくださった。「良いですねぇ。お願いします」と答えると山月記を暗誦しだした。かつて、遠藤さんの演出で山月記の一人語りされたことがあったが、そのおかげでまだ覚えているのだろう。京都の東、山科を過ぎるとすぐに大津だ。大津SAで止まることになった。給油をしようとしたが、大津SAにはガソリンスタンドが無いため給油は次にということになった。

バンの運転を朋さんから湯浅さんへバトンタッチ。バンはひっきりなしに音楽をかけている。北アフリカのブラスバンドとか。湯浅さんも好き、朋さんも松本くんもOKとのことで、岡村靖幸をかける。次のサービスエリアで車から降りる時、玉寄さんに「不純だなぁ。誰の趣味?」と言われた。関西風の柔らかいタコ焼きを朋さんのおごりでみんなでつまむ。朋さんは湯浅さんに多くあげて、「運転をもう少しお願い」と言っていた。このサービスエリアは市場のようなすごい人出です。

大津のSAには僧侶がたくさんいた。比叡山延暦寺や三井寺があるからだろうか? 運転は再び綾香さん。途中、ガソリンを入れたが、その直後名神と新名神の分岐で間違えて名神側に行ってしまう。勿論、名神でもOKなのだが、新名神の方が時間的には短縮できる。ちょっと失敗してしまった。木曽川を渡る時、綾香さんは木曽節を歌った。トラックは特に何もなくしみじみと特に盛り上がるでもなく行く。三月に綾香さんが出た芝居の稽古のことなどを聞いた。新劇系には“自家発電”という言葉があるらしい。

何回か休憩を取りながら、夕飯の時間は特に取らないことにし、一路横浜へ。

新清水のSAで休憩。新東名のSAだからか、非常に綺麗だ。バンの方は音楽をかけていることが判明。武術の練習を纏まって出来るところは他になさそうなため、脇で武術の稽古。心意拳ではなく、今回は岳氏連拳八翻手。遠巻きに、生暖かい視線が送られる。みんなのにこやかな笑顔。

「あれ? 皆さんどうしたんですか? そんなに笑って」と尋ねると。
「いや、どうもしてないよ」と松本君がいつもの笑顔で答えた。車の中での読み物として、ホテルからもらってきた新聞を松本君に渡す。

運転しながら朋さんが歌う、湯浅さんも歌う。バンの最後部席で横になって防寒のアルミシートを被ってホイル焼きみたいになっていた玉寄さんも、「風になりたい」の時はアルミをシャカシャカ鳴らして演奏していたし、「サトウキビ畑」や「Scarborough Fair」なんかは大きな声で歌ってらした。湯浅さんの運転しながらの歌に周りが声援送り手拍子をしていたのは、まるで売れない歌手が自ら運転しスタッフに支えられながら全国を巡る旅にも似て、なんとも可笑しかった。

トラックでは綾香さんのリクエスト曲をいくつか綾香さんの好みが少しわかったので、僕も綾香さんがノリそうな曲をリクエスト。ハイスタンダードの「初めてのチュウ」だ。これを絶唱していたら、綾香さんから大うけだった。調子に乗って、綾香さんが苦手そうな筋肉少女帯の曲を流したが、やはり綾香さんは少し引いていた。足柄SAで給油と食べ物を購入。正直、新清水についた時点で、お腹が減るであろうことは予測できていた。おにぎりを一つ購入。足柄SAは雨。日も落ち、暗くなって来た。僕らは梅雨前線へ突っ込んでいるのだろう。箱根山が小噴火したというニュースも聞いた。暗い、神奈川入りである。けれども、ポツリポツリとつく灯からは温かみが感じられる。「搬入が雨だったら嫌だね」と綾香さんと言いながら、トラックは行く。

大井松田、厚木、海老名とどんどん都会へ近づく。町田へ近づいたころには音楽をやめ運転に集中。道が細かくなってくるからである。やがて横浜、船劇場へとついた。途中、遠藤さんから電話が来た。遠藤さんも無事にご自宅へ戻られたようだ。船では綾香さんによる新しいチャレンジがあった。トラックのゲートを船の入り口につけて、搬入を楽にするというものだ。おかげで搬入がとても楽になった。バンよりも我々が先着したので、その間船の入り口周辺を片付ける。

朋さんはオペラ発声あり、清志郎のモノマネあり、大はしゃぎの大サービスで皆大笑い。船劇場到着の手前では、クイーンのWE ARE THE CHAMPIONSをかけ、車のスピードを落とし、皆で拳を上げて歌いながら悠々たる凱旋を演じました。深夜になるかもと言っていたが、なんと21時前には船劇場に到着した。かなりスピードを出して走って来たお陰です。運転をされた朋さん、湯浅さん、綾香くん、奥本くん、本当にお疲れ様でした。

7人でバケツリレーの要領で荷下ろし。22時には終わりました。久しぶりにパンチが剥がされ床絵が見えている船劇場はガランと広く、帰って来た私たちを温かく迎えてくれた。湯浅さんが「帰って来て自分たちの劇場があるって本当にいいですね。終わったというより次が始まるという感じがする」と仰っていた。本当にそうだと思う。「恋に狂ひて」もこの劇場があったからこそ生まれた作品です。このツアーで一回り成長し完成度が高まった「恋に狂ひて」を、船劇場でも早々に上演し、ホームグラウンドの支援者の方々にも観ていただきたいと望みます。

搬入後、皆さん疲れている様子。疲れて当然だと思う。けれども、最後までしっかりとやってくれたことに感謝したい。僕は横浜駅で降り、家に連絡する。正直、船に泊ることも可能性としてはありえたのでほっとしていた。けれども、僕にとって「恋に狂ひて」ツアーは終わってはいない。報告作業をして、次の可能性につなげることをしてようやく本当に終わったと言える。12時過ぎに綾香さんからトラックを返却したとの連絡が入る。

湯浅さんと綾香くんはトラックを返しがてら帰宅する。バンは朋さんが自宅近くで返すので、皆を駅まで送ってくれた。吉岡は都内まで送ってもらう。朋さんが遠藤さん宅に顔を出し、ツアーの無事終了を報告。

船劇場までは歌って楽しく帰って来たので「これまでになく全然疲れてない!」と仰っていたが、これで随分疲れてしまったのではないか。最後の最後までツアーを支えて下さり、朋さん本当にありがとうございました。

各地で惜しみない協力をして下さった関係者の皆様、各地の劇場に足を運んで下さった観客の皆様、広報活動に参加して下さった支援者の皆様、そしてこのツアーを共に務めたスタッフ・キャストの皆様、本当にありがとうございました‼︎

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